あなたの知らない、他人の目に映るあなたの姿
何十年と慣れ親しんだこの身体。だから自分のことは自分が一番よく知っている、わかっている。……と、思っている。
けれども、他人の目には、どう映っているのだろうか?
人は自分のことがわかっているようで、わかっていない。
また、人は、誰も、“本当のこと”を言ってくれない。
ましてやそれが、あまりいいことでない、ならば尚更のこと。
本当のことを言ってくれないどころか、嘘だってつく。
その嘘は悪意のない嘘で、関係を円滑にするための油みたいなものではあるけれど。
鏡が教えてくれないこと
人は一日の大半を、自分の姿を見ずに過ごす、過ごせる。
あなたは一日24時間のうち、何時間? 何分? それとも、何秒? 鏡に向かっていますか?
自分の顔を見るのは、朝晩の洗顔の時だけ? 化粧する時は、もう少しじっくり見るかもしれない?
歳をとればとるほど、鏡に向かう時間は減少傾向となっていませんか?
「だって……見たくないんだもん」
「見たって、がっかりするだけ」
だから見ない、顔は首の上についていればいい。
それ以上は、もう望まない、知りたくない。
見たくないものは見ない。見なければ、無いに等しく、自分の姿かたちは、「若かったころのイメージ」で止まったままでいられる。
若い時の自分は記憶に鮮やかだが、この先の自分は想像の範囲外だ。
だから「老い」は、あえて見ない、見なければ知らずに済む。
けれども、他人はそうはいかない、容赦ない。
あなたが目をそむけたい、そむけている現実、実像、虚像、見たまま、感じたままをしかと目に焼き付け、脳に植え付け、
「ああは、なりたくない」「ああなったら、おしまいだ」と反面教師として心に刻んでくれるかもしれない。
ましてや、女性は男性に比べて、人物を視覚的なイメージでとらえる人が多い。
ex. 男性からは評判の良くない政治家が、テレビなどを通じて良いイメージに映しだされると、女性からの支持率が一気にアップしてしまう。
ということで、自分には甘く、他人には厳しく辛く苦くしょっぱいすっぱい私、オバ・かがみ・まなこが、あなたの鏡、他人の眼(まなこ)となって、微に入り細に入り、他人の目に映る、あなたの知らない、もう一人の加齢なるあなたの姿を、お節介にも親切に、逐一ご報告していきましょう。