「歳をとるのが、いかに大変かってことがわかってきたわ」
「そうよ、私なんか一生懸命、必死で歩いているのに、ちっとも進まないの」
うららかな昼下がり、電車の中で70代と思しきシニア女性2人の会話でありました。
「老い」とは、他人事(ひとごと)である。
だから私に、それはやってこない、だから関係ないことである。 そんなことを本気で考え、信じていた時代があったんですの。懐かしいですわね。
それがね、どうでしょ。……あら、あらら、いつの間に? こんなことに、こんなになっちゃって。……私って、こんなに歳をとってしまってたの? 私にこんな日が来るなんて……。
ところが今じゃ、ちょっとやそっとの加齢事じゃ驚きゃしません。
あら、あららは日常茶飯、次から次へと出るわ出るわ、あら、あらら、あらあら、何これ? と、新しい? 老い印発見の旅 は今日も明日も続くのです。
老いは、体の内に深く静かに潜行し、外はといえば、一目瞭然。まさに、これが、老い、というものなのね状況、状態でございます。
だったら、それも、老い? あれも、老い? 多分、老い、きっと、老い。間違いない。と、ひとごとでなく、すっかりしっかり、わたくしごととなっておりましたわ。
しかしそうは言ってもねぇ……心の中ではねぇ、感情がねぇ、追いつきませんのよ、老体、老顔に。
だから他人に老人扱いなどされたらどうしましょ。心中穏やかではいられませんわよ。
「自分の老い」と「他人の老い」
こんな人間は、もっと歳をとって、老人ホームにでも入ったら、自分は、あなたたちのような年寄りじゃないわ、一緒にしてほしくないわ。
なんで私がこんな年寄りと一緒の扱いをされなくちゃいけないの? と半分ボケた頭と達者な憎まれ口で、さぞかし職員を困らせる厄介婆さんになるのでございましょう。困ったものですわね。
あんなにカッコよかったあの憧れのスターが、こんなに爺さんになっちゃって、あんなにキレイだったあの人が、こんな婆さんになっちゃって、と、
「他人の老い」には目敏く反応、手厳しいくせに、「自分の老い」は、なかなか認めることができない加齢人……それが私です。
──が、それも今や過去となりました。この人がこれだけ歳をとったということは、私もそれだけ歳をとったということなのね。
この当たり前のことを、老化した脳がやっと認識しだした昨今でございます。
永遠に続くと思っていた若さも、いつの間にやら失われ、いつの間にかこんなにババアになっちゃって、こんな姿になっちゃって、そんなこんなで日が暮れて、その間にも時は容赦なく過ぎ、老いの新参者から、老いの中堅、やがては老いの古参者へ、そして向かう先は、ひとつ、あそこしかありません。
誰であろうと遅かれ早かれ行く着く先ファイナル・デスティネーションは決まっているわけですから、無駄な抵抗でエネルギーを無駄に消費することなく、それまでの道中を愉しむことに専念いたしましょ、それが加齢人の生きる道ですかしらね。
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