アーノルド・シュワルツェネッガーは言っている。
“異性はあなたを裏切るが、筋肉は裏切らない”
昔々、『女が階段を上がる時』という邦画がありましたのよ。含みのあるいいタイトルですわね。で、こちらはその反対、何の含みもない『女が階段を下りるとき』。
人生の下り坂に差しかかった人間は、階段を下りるとき、細心の注意を払わなくてはいけない加齢注意報であると同時に、加齢ゆえの見栄が災難から身を守るというお話ですわ。
下りるときばかりではありませんわよ。上がるとき、これも要注意ですわね。
もうね、歳とってくると、自分が思っているほど、足、上がっていないんですね。
いつの間にか、すり足になっちゃっているわけです。
問題は、そのことに気が付いていない、ということですよ。
気付き注意していれば、事故は、転倒は、防げるってことですね。
「いつまでも若いと思うなよ」、ってことです。
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私の友人も、かって公衆の面前も面前、朝のラッシュ時に駅の上り階段でつまずき、額を思い切り打ちつけ、手首と人差し指を骨折したんですよ。
で、今頃になって、最近物忘れがひどくなった、ボーッとするのは、あの時、階段で額を打ったから、脳に異常がでてきたのかもしれない、なんて言いだしましてね。
違うだろー、(ちょっと古いかしら)頭ボー、それは最近始まったことじゃないだろー、プラス、加齢による脳の老化だろー、なんて心の中で大声上げている私ですけれども。
通勤に急ぐ人でいっぱいの朝のラッシュ時の駅の階段。そこで派手に転べば嫌でもたくさんの視線を集めてしまう。なかには「大丈夫ですか?」なんて声かけてくれる人もいて、いい歳をしたおばさんは、痛みより恥ずかしさのほうが強かった。と後日、友人は言っておりましたが、それなんですよ、私が言いたいことは。
小さな子供が転ぶのは当たり前、その姿は愛らしくもある。若い人が転ぶのも愛嬌、美人やイケメンが立ち上がり「テヘヘ」と照れ笑いする姿は、一層チャーミングだったりもして、魅力倍増ですわね。
でも、オバサンが転んだら、ニブい、ドンくさい、みっともない、と冷たい視線を浴びせられ、また起き上がるにも、姿勢を立て直すにも「イタタタ」「どっこいしょ」と時間ばかりかかって、照れ笑いする余裕などないどころか、再びよろめき転倒なんてこともありえますわね。
挙句に大腿骨骨折、入院、退院、筋肉落ちて歩けない、そのまま寝た切り、なんてとんでもないことになってしまうかも。
転んで怪我をしたくないのはもちろんですけれど、その前に、もし転んだら、「年寄りだから転んだ」、と思われたくない。
加齢ゆえの無様な恰好を晒したくない、年寄り扱いされたくない、ってことですの。
そんな見栄っ張りですから、階段の上り下りには、細心の注意を払いますことよ。というのも、はるか昔、それは 20 代の初めでございました、自慢じゃありませんけれど、わたくし、2 度、階段から転げ落ちているのですわね。
2 度とも地上めがけて 10 段以上はぶっ飛んだように思いますが、1 度目は人でごった返す新宿駅の階段。が、不思議なことにかすり傷一つなし。
俊敏な若きキャット・ウーマン(私のことですわよ)は、顔色一つ変えずそのまま何事もなかったようにスッと立ち上がり、風のごとく去っていきましたとさ。
2 度目はビルの中の階段、転げ落ち、踊り場の壁にぶつかって落下が止まったのはよかったが、その代償は大きく左肩甲骨骨折、全治 1 ヵ月だか 2 ヵ月でございました。このときばかりは意識朦朧、身動きできず、救急車を呼ばれてしまいましたとさ。
こんな過去のある加齢人ですから、階段の前に立つと、過去がよみがえり、気持ちが引き締まり、姿勢もシャンとしますの。
ある程度の速度をもって、若々しく、足取り軽く颯爽とリズミカルにトントントンと……いきたいものですわね。
もう 20 代ではありませんから、それにはやはり、普段の生活が大事、筋肉をきたえなくてはなりませのよ。
見栄を張るには、毎日コツコツ、人知れず努力、そこに行きつくわけですわね。
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