加齢なる現実は見栄を超える

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今日はゆっくりお昼から出かけるつもりでしたのに、午前中に、めんどくせー電話がありましてね、出かける前に、そちらを片付けなくてはならない羽目になりましたの。

全く、なんだってこんなことになったんだい。

この件についてはまた別の機会に書いていきたいと思っていますが、これも浮世の義理、しょうがない、けど、めんどくせーな、でございます。

 

ということで、まともに化粧する暇もなく朝からバタバタと出歩いて、恰好だって雑、かまっちゃいられません。

春だし、少しはきれいにして出かけたいものだ、と思っていたのに、そんな時間の余裕もなく、もう、いいや、どうでも。と、なったわけですの。

 

どうせ、出かけると言ったって、行先は……。

どうせ、オバサンなど誰も見ちゃいない。

どうせ、大事な人に会うわけじゃない。

どうせ、どうせで、見栄も何もあったものじゃございません。

 

とはいうものの、出先で鏡を見れば、髪は風で乱れ、雑な化粧との相乗効果? により、それはそれは、もう何とも情けない老顔が映し出されておりましたわ。

 

大丈夫、そんな時は、マスクですわよ。

少々、季節外れの感は否めませんけれど、夕方に雨が降り、気温が急に下がりましたから、薄着で出てきた寒がりのオバハンはマスクの暖かさに癒されましたわ。

 

こうして、年々、

あーあ、メンドクサイ! が多くなり、

見栄なんか張っちゃいられない。

気取ってなんかいられない。

恰好なんかつけていられない。

恰好良さより、快適さ、身体がラク、それが一番なのよ。

 

どうせ誰も見ちゃいない。

 

そうしてこうして知らぬ間に月日は流れ、ある日、ある時、改めて、

あらー、イヤだ、誰かと思ったら、

……この婆さんは……ひょっとして……私でしょうか? となるのかしら? それとも、すでになっているのかしら?

 

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