夫のこと、姑のこと…他人事なら何でも言える、他人の痛みはいくらでも我慢できる

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他人事なら何でも言える。他人の痛みはそれが精神的、肉体的なものであれいくらでも我慢できる。

大変ね、辛いでしょ、わかるわ、口では何とでも言えるけれど、実際のところ自分で経験、体験してみないとわからないものだ。

でも聞いてもらうだけで少しはラクになるかもしれない。


先週の金曜日のこと、同僚の40代主婦が同居する姑の愚痴をこぼす。

「〇〇が汚れている、××が汚い、掃除してない」、と姑に言われる。それもいつも同僚が仕事に出かける直前になって言うらしい。

この前はあまりにも腹が立ったから、

「気が付いたなら、お義母さんが掃除してくださいよ」と言ったら、

「こんな年寄りを働かす気か」とすごい剣幕で言い返された。

 聞けばこの姑74歳で1日家にいてバリバリ元気、口も達者。

困ったね、こういう婆様。私なら1日だってもたないよ。

 

で、それから掃除してくれるようになったの? と訊けば、

「ううん、全然。でも、いいんです。初めて言いたいことを言ってすっきりしましたから」なんて殊勝なことを言う。

へぇー、今どきこんなおとなしい嫁さんがいるのか、と驚き何だか気の毒になっちゃって、

よーし、私が行って、その婆様のひね曲がった根性を叩き直してやる。それともその婆様、あなたが仕事に行ってしまうのが寂しいんじゃないの? 1人取り残されるようで。

「アハハ、それはないですよ」

だったら、その婆様の寝てる間に、その減らず口にガムテープ張っちゃうか。と言ったら、彼女アハハハと笑い、「いいですね」と応えてくれた。

 

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そして職場を出たら例の同僚と「生ビール時間」

彼女の家庭内別居は今も続く。こちらも1日家にいる夫、何も言わないだけマシか。

で、彼女が言う。最近、ちょっと夫が可哀そうに思える時がある。得意でない自分の食べる物の支度、片づけ、洗濯、掃除をこなし、話す相手もなく何が楽しいのだろうか。と。

で、次の瞬間、いやいや、そんな仏心を出している場合じゃない。

夫のために料理、洗濯、掃除をしない気楽さと、口を利かない気まずさ鬱陶しさを秤にかければ、今では夫のために何もしなくていい、その気楽さ解放感の方が勝るようになった。と言う。

 

よかったじゃない。もうこうなればとことん行けるところまで行って、家庭内別居・最長記録を目指したら? 

アルコールが入りお気楽モードに入った私たちはそれからも冗談を言い合った。

で、ふと、彼女の会ったこともない夫を思い、今頃どうしているのかな、と少し気の毒になった。

 

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