会う人ごとに「どうしたの?」と訊かれる瞼の腫れは最高潮に達してまいりました。ライトを当て老眼鏡をかけ拡大鏡でじっくり観察すれば、軟膏でツヤツヤヌメヌメとした奇妙な半球体はかなり異様で、まるで小さなエイリアン。うーん、気持ち悪い、これは眼帯をするべきだ。
でも腫れがここまで大きくなると眼帯をすると擦れるような気がして、そのまんま。でも見せられる方はイヤだろうな、見たくないだろうな、この3連休に少しでも腫れが引いてほしいものだが、そうは簡単に引かない、と先生が言っていた。
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昨夜は仕事帰りにあの綺麗なシニアの店員さんのいる店に寄った。でもそこに彼女の姿はなかった。やはり何か事情でもあるのだろうか、大きなお世話だが少し心配だ。
代わりに応対してくれたのは、彼女より、もう少し若そうな中年女性で、これっぽっちの笑顔もなく不機嫌そうで無愛想に見える人だった。なので買うか買うまいか、ちょっと躊躇してしまったけれど、実際は見た目ほど感じ悪い人ではなかった。
無表情で不機嫌そう(ちょっと、怖そう)、無愛想に見えるのは……疲れて見えるからだ。
無表情に加え、制服である三角巾? バンダナ? から出ている前髪が疲れた顔を強調し、やつれているようにさえ見える。顔立ちは悪くないのに……勿体ない。
……だから、なんか、その人の顔、見るのが悪いような。でも、これは他人事じゃない、身につまされる、だからこそ、ちょっと辛いような気分になってしまい、そそくさと店を出た。
中高年にもなれば面白いこと楽しいこともどんどんな少なくなって無表情になっていくというのに、それどころか出口の見えない暗く重い問題を背負うこともあり無表情に暗さや不機嫌さが加わる。
生活に疲れ、人生に疲れ愚痴やため息ばかりついているとそれが「その人の顔」になってしまう。暗い顔では人も幸せもどんどん遠ざかっていく。
“ 男は40過ぎたら自分の顔に責任を持て ” と言うけれど女だって一緒だ。
“ もし悲しければ、もっと口紅をつけて、そして戦うこと ” と、シャネルはそう言い、それを実践し大成功した人だ。
“人の振り見て我が振り直せ ” シャネルにはなれなくても、悲しい顔も怒りや暗い表情も疲れた顔も家の中だけにして、せめて外に出るときは、あのシニアの綺麗な店員さんを見習いたいものだ。そんなことを考えながら昨夜もまた重い荷物を抱えながら帰路についたおばさんです。
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