なに着て行こう? 着るものの制服化、髪型の固定化

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朝晩は涼しい、でも晴れれば暑い。若者はまだ半袖、高齢なるおば様方は秋めいたお召し物という今朝の電車の中でした。

おばさんの私は相も変わらず夏のまんまの長袖シャツ。

「何を着ていこう、着るものがないわ」女の人はどこかへ出かけるとなると、まず着るものを考える。

それは向かう先が職場であっても同じで、明日は今日は何を着ていこう? でも悩んだところで結果は同じで1年中同じようなものを着ている。

 

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“ 服1枚で変身できるのは30代まで、中年からは1発逆転は狙わない。これまで培ってきた自分の個性を大切にし、その路線で少しずつバージョンアップしていくとセンスも磨かれる ”  

分かっております、1発逆転なんか狙ちゃいません。自分の個性ね、バージョンアップね、ふ~ん……。

“ おしゃれは「運動神経」のひとつ。使っていないと筋力が落ちてしまうように勘が働かなくなり似合うものが何かを直感的に選び取ることができなくなってしまう ”『おしゃれの幸福論』光野桃

これはよく分かる、似合うかどうかはわからんが。

服を見る、選ぶ、買う楽しみ、今だってあることにはあるが、選択肢がないんだわよ。

こうしておばさんの着る服は制服化し、来る日も来る日も代り映えしない。でも服選びに時間がかからない、これは非常にラクである。お洒落も大切だが、このラクというのが年寄りには欠かせないのだ。

着てラク、食べてもラク(お腹回り)、持ってラク、履いてラク、でも、おばさん臭いのはイヤ、ダサいのはもってのほか。こんなことを言っていると尚のこと選択肢はゼロに近くなる。

髪も問題だ。加齢と髪、服と一緒で髪型も固定化される。選べる、似合う、そんな贅沢が言えなくなってくる。

 

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