探し物はなんですか、あれがない、これがない、どこ行った、で1日が明け1日が暮れるような最近でございます。それは歳のせいよ、はいはい、分かっておりますです。
でも、探し物をしているうちに、何を探しているのだか忘れるようになったらお終いよ。そこまでひどくはないわ、でも……覚えてないだけかも……。
職場ではそれでは済まない。今日も帰宅時間になって、ないないない、どこ行ったが始まった。どうしよう、見つからないと帰れないよー、おばさん焦る、どこに置いたのか、どこへ持っていったのか……全然思い出せない。10分ほど前に使っていたのに。
その10分前のことが思い出せない、焦れば焦るほど頭の中がこんがらがる、ああ、どうすりゃいいんだ。
そこへ30歳の救世主、若者男子現れる。おばさんは待ってましたとばかりにこの若者に助けを求めた。
心の優しい若者はおばさんの話を真摯に聞き、一緒に探してくれることになった、で、見つけてくれた。おばさんは無事定時に帰ることができた、めでたし、めでたし。
ありがたいわ、こういうことは同性の同僚には頼みにくいのよね、もし、これが30歳のオネーサンだったら、「ボケてんじゃないの、ったく、これだから年寄りは、私の帰る時間が遅くなるじゃないの」なんて口には出さずとも、もろ嫌な顔されそう。
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同性は同性にキビシイのよ。その点、異性は優しいわ。たとえ、相手がおばちゃん、自分の母親くらいの年齢であっても、親切だわよ。困ったことがあったらこの若者男子に言うの。すると、ことがスムーズに運ぶのだわ。
もう何十年も前に視たテレビ番組、もう詳細は忘れてしまったけれど、おばさんが、通りすがりの、男性(中年、若者)に、助けを求める(お金を失くした? ので少々、お借りしたい? だったような?)。
驚いたことに、ほとんどの男性は、おばさんに耳を貸し手を貸してくれた(お金を貸してくれた?)という、まこと、おばさんにとっては有難い嬉しい喜ばしい内容でありました。
私はその頃、まだまだ若く、男の人って、異性には、たとえ相手が「おばちゃん」であっても優しいのだな、また男性にはそうあって欲しいものだと微笑ましい気持ちになったものです。
その頃から時代は変わりました。たとえギスギス、ピリピリ、世知辛い世の中にあっても、老いも若きも、せめて異性には、ちょっとばかし大らかに優しく接しってほしいものだわ、と切に願う加齢なる日々。
私? もちろん、この30歳の若者には親切に接しているわ、他のおばちゃん同様に。来年の2月14日にはチョコを贈ろうかしら? 人生初の体験だわよ。でも、キモイおばさん、なんて思われないかしら。
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