自分の顔、でも、その顔は見たくないのだ

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もうナルちゃんじゃいられない

コロナ自粛で仕事も学校の授業も飲み会もオンラインで、とは便利な世の中になったものだ。ではありますが、あたしゃー、嫌だよ。

でも、仕事なら、嫌もへったくれもない、仕事がある、で、満員電車に乗らなくていい、それだけでも恵まれているのかもしれない。

にしても、オンラインだもの、カメラを通して会議に参加、上司や仲間に仕事の報告。ああ、それを考えたらストレスだ。

何が嫌でストレスなのかって? それはカメラを通した自分の顔だわよ。まぁ、若ければ、それなりに、オンラインのためのメークや着るもの、はたまた自分の後ろに映る部屋のインテリア、ちょっと頑張っちゃうのかな。

 

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しかし、それにしてもそれが続けば結構なストレスにならないのだろうか。オンライン飲み会も若者やおっさんならいいだろうけど、おばはんは勘弁だ。

自分の顔、でも、その顔は見たくない、と同時に絶対、見られたくないのだ。その拒絶感は「証明写真」の、それと似ているかもしれない。

なんたってかんたって、歳とって、証明写真で、ノックアウトされた、あのいたたた痛さ衝撃は心の傷、トラウマとなり、今ではカメラ恐怖症となってしまったのだった???

証明写真、なんでこんな見たくないものにお金払わなくてはいけないの? で、写真は必ず余るのだ。残った写真は再び見る気も起きないが、何たってお金がかかっている、だから捨てられない、いつか使う時が来るかも……。

というわけで、日の当たらぬ人目の届かぬある場所に保管、隠してある。で、時が経ち保管したことなど忘れる。で、10年後、生きていて部屋を片づけていたら、その写真が出てきて、あらー、若かったのね、となる……とは思えない、それほど……ひどい、が、それが現実、で、またショック。

 

 

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