オバサン足であってもオバサン靴はイヤなんだ

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短くたって太くたって歩けりゃいい


若い時から脚にはとても関心があった、で、靴が大好き、靴には抵抗できない自分がいた。でも若い時のあしへの関心は足でなく、あくまで脚の見た目、ただそれだけだった。痛かろうが何だろうが気に入った靴に足を合わせる、そんな時代だった。

しかし40代から50代にかけては「見た目の美しさ」もさることながら、関心はあし全体の健康へと移っていった。アラ50で脚を痛めたこともあり足の健康、オーダーメイドのインソールにお金をつぎ込んだ時代でもあった。

また自分の母親が晩年は車椅子生活を強いられるようになったこともあり、足、脚への関心は途切れることなく今も健在だ。今も「あし」が疲れたり、靴が足に合っていないと、てきめんに昔の古傷が痛み出し、痛みは全身に広がっていく。

 

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というわけなので、靴には、「金に糸目はつけないよ」主義なのだ。なーんちゃって偉そうなことを言って書いているけれど、糸目にはピンキリありまして、まぁ、私なりの糸目ね、そこんとこ誤解なく。えっ? そんなの解っている、どうせ、シケタ・イトメだろ、って? まぁ、いいわ、なんとでも言ってちょうだいな。

ということで、金に糸目をつけるなら服より靴に金をかけたい女、それがおばさんの私なわけ。スニーカーだからって足がラク、なんてこともなく、履いてラクで歩きやすく疲れない、足に良い靴、足の健康を考えた靴、そんな靴が欲しいわけね。で、おばさんである私はいつもそういう靴を探してるのよね。

でもね、そういう靴って、はっきり言って、ダ・サ・イ、の一語なのね、昔から。どうして? なぜ? 今もそうなの? それがどうにもおばさんには解らないのよね。なんでこんな不格好なもの履かにゃならんの、銭を使わなにゃならんの? と思ってしまうのね。

でも、こんなこと言っていられるのも今の内か、いつかそんな靴にお世話になる日がくるのかもしれない。この4日間の休みは何の運動もせず食べてばかりいた、明日からまた歩きましょう、で、靴探しの旅は続くのだ。

 

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