着るものが無かった

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情熱の火元はどこ行った?

このまま8月で有休を使い切って仕事を辞めることにした。後1回、2回は職場に行かなくてはならないが、辞めると決めたら早いものだ。で、寂しくなる、かと思ったが、それはまだ気持ちが揺れ動いていた時の話で、決断したら……こんなものか?

で、仕事に行ってた時は、毎日、服は着替えはしても、毎週、火曜日から金曜日まで、4着+1、2着をクルクル着回し制服化、だから着るもので悩むことは無かった。

おまけにこのコロナ禍となり、休日に出かけるところといえば、スーパーに生活必需品の買い出しくらいのもので、人に会うのはボランティア仲間と、例の近所のランチ友、ランチと言っても洒落た店に行くわけじゃない。

こうして出かけず人にも会わない生活が長くなったものだから、服も買っていなかった、部屋着は少々購入していたが。

でも、来週から付き添いで病院に行かねばならないし、それに伴い色々な人に会うことにもなりそうだ。

行く先は病院だし会う人もそちら関係者だ。だからお洒落する必要はないけれど、やはり人に会うエチケットとしての「身だしなみ」、また自分の気分向上のために着るものを考える。

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が、「着るものが、無い」、着るものが無い、着るものが無かったよ、買ってないのだから当たり前といえばそうなのだが。そこで……!!!そうだ! だいぶ前に買った、お気に入り、「あれ」があるではないか。 

で、鏡の前に立てば、ぜーんぜん、変。何と申しましょうか、違うんだなー、何かが、……服はこれがあるのだな。

あれだけ気に入って大事にしてたのに、人にも褒められ、自分でもドンピシャ似合っていると思っていた、それが今はもう似合わない。

というか……ピンボケ、何もかもが少しずつズレている、そんな感じ。

服に対する情熱も醒めていた、それにもあまり気付かずにいた。今は時間ができ、そんなことにも気が付いた。億劫が先に立つ歳になり、ラクなこと、手抜きばかりを考えている昨今、これはちょっとまずい。

で、思った。外に出る、出かけることは大事だ。このコロナ禍ではそれもままならないけど、出かけるは、足を使い、頭を使い、気も使い、おまけに五感も六感も総動員し、時にお金も遣うけど、それは自分への投資、そう考えよう。

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