こんな時だからこそ、自分のこと(で、見た目の再考も)

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小さくてお洒落なバッグ、オバサンにはお呼びじゃない

基本、アクセサリーはつけない私ですが、ピアスだけは別、ピアスが無くては話にならない。が、それも今は昔、すっかり忘れておりました、大好きだったピアスの存在を。

仕事で外し、仕事以外で出かける時も、しばし忘れるようになり、そのうち忘れたことも忘れ、いつしかそれが当たり前となり、そうして時は流れ現在に至り、気が付けば飾り気のない殺風景な年寄りになっておりました。

出かける先が病院しかない。いずれそんな日もやってくるだろう。それでも人の手を借りずに行って帰って来られるならば、それはそれで大したものだ。

一病息災、病気したからこそ、わかることもある、気を付けることもある、人にも優しくなれる? でも、誰だって、大病なんかしたくない。

“ 人の振り見て ” ……考えずにはいられない。これはヒトゴトではない、自分の生活をこれからを見直す立て直す、その時なのかもしれない。

で、自分ファーストオババは考えた。それは自分を愛することだ、愛することは大事にすることだ、慈しむことだ。

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自分が自分を愛せなくて大事にできなくて、誰が愛してくれるのか、また誰を愛せるというのか? 大事にできるのか? なんちゃってね。

で、なんちゃって続きで大事にするのは甘やかすことじゃない、欲望に突っ走ることじゃない。しかし欲望も薄れ、走ることもできなくなった年寄りは、「基本、1人で、できる」とりあえずこの期間の延長を目指すのじゃ。

それには「感情の衰え」が無視できないわけよ。感情の衰えは表情の衰え、良い表情は見る人のためならず、自分の幸せのため、顔は情報の発信源、感情の伝達媒体。

良い顔の習慣がよい天性をつくり、良い顔の習慣がいい人生を連れてくる。

とは言いましても、この歳だわよ、ちょっとこのままもなんですから、気分向上しませんから、とりあえず顔周りの額縁やら着るもの、見た目を、改めて年寄り目線で考えてみよう、そう思った次第であります。 

それもこれも、まずは、自分を元気にするため。元気でなければ長時間の付き添いだってままならないのですから。

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