お喋りは必要だ。でも病気情報は言わぬが知らぬが、いい?

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日暮れが早くなり、夜には虫の声、秋ですね…

人の心の中はわからない、ましてや、病気の話、その当事者とその病について話すのは非常に……余計なお世話か?

自分が病気になったら、それもちょっと深刻な、聞きたくなかった知りたくなかったそんな病だったら。

拒絶したところで逃げられはしない、と観念したら、やがて諦め現実を受け入れる、それしかないもの。で、それからどうする? 

今は幸か不幸かネットがある、だからその病気の情報を検索しまくる、だろう、多分。せずにいられない、だろう、多分。知れば知るほど恐怖が増すと分かっていても、そうしてしまうだろう。

知ったところで自分ではどうしようもない、それが分かっていても自分はそうするだろう。でも、自分のことでなくても、そうしている自分がいる。

でも、みんながみんなそうとは限らない。自分を基準に物事を考えてはいけない、そうなんですけどね……。

でも、あー、悩ましい、そこで悶々としてしまう自分がいる。医者でもないのにアンタのためは、大きなお世話、余計なお世話、それでも言うならどこまで言うべきか?

言ってどうする、知ってどうする? 今さら言ったところで知ったところで、どうなる? 何になる? 子供じゃないのだ。

知らぬが仏、当事者が知りたくないようなら、何も言わなくていいのよ、知ればいいって問題じゃないのよ。お医者さんにお任せよ、後は本人が決めていくことよ。

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9月の半ばにまた付き添いで病院へ、そこからどうなるのか? 考えてもしょうがないけれど、そんなこともあって、このコロナ禍で1日中家にこもり無駄話する相手もいない、気分は晴れませんわ。

こんな時、ウッカリさんと美味しい物でも食べながらお喋りでもすれば、ちょっとは気が晴れるかしら。でも先日のボラ活後、ランチは「もう少し我慢しようね」とお互い了解したのだ。

オババに今や友達と呼べる人はいないけど、必要とも思っていなかったけれど、仕事に行かなくなったら、無駄話する相手もいない、ってことに気が付いた。

そのちょっとのお喋り、時に面倒くさいと思えたお喋りが、結構、ストレス発散とはいえないまでも気晴らしになっていたのかもしれない、なんて思う今日この頃。

そうなると結局、ご近所さんだけですよ、話し相手は。ところが、そのご近所さんとほとんど付き合いがない、のですから。

すると、あーら、不思議、ウッカリさんやもう一人のランチ・散歩友が、すごーく貴重で大事な存在に思えてきたではないかいな。

やはり来週は意を決して職場へ行こう手土産持って。で、その帰りには、デパ地下へ寄ろう。で、ウッカリさんにはこれまで色々な食べ物をいただいてもいる、だから美味しいお菓子でも買ってきましょう。

いつも親切にしてもらってありがとう、これからもよろしくね!

「あらー、おいしそう! でも、太っちゃう」ウッカリさんはそう言うだろう。

太っちゃう? もう太ってるじゃん。

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