咳とは長い付き合いで、それはいつも忘れた頃にやって来る。なんでかな、なんでかな、と思っていた。
病院に行きあちこち調べても、これといった病も見つからない。するとそれは『心因性咳嗽(しんいんせい・がいそう)』なんて言われたりすることがあるらしい。
なんじゃ、それは? と思ったら、結局、気の滞り『 気滞 』のせいなのだ。ストレス で気が滞る、咳をして心に溜まったモヤモヤを吐き出き出そうとしているらしい。
咳がね、へぇー、ふぅ~ん、なるほどね。タクシーの運転手さんの言うことにゃ、「山にでも行って、大声を出すといいですよ」
確かに、それはいいだろう、空気もきれいだしね。でも、山って登らにゃいかんでしょ、それがオババにはストレスなの、下山は下山でこれまた大いなるストレスだ。
では気軽に東京近郊の高尾山なんてどうでしょ? ダメだ、ダメだ、人が多すぎる。何するにも、並ばなくていけないなんて、もう考えただけでストレス、そのニュース見たただけでストレス。
このようにワタシは、あれこれつべこべうるさい人間なのだった。昔、占い師に「文句の多い人」と言われたのもこんなところから来ているのかもしれません。
でも、それをいちいち人に言ったり、ましてや人前で怒りを露わになんてことはあり得ません? でも、怒らせると、怖いんですよ、ワタシって、それは以前書きましたわね。
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火曜日に、あの運転手さんに言われてから、充分、わかっているつもりだった自分のことが、なーんだ、全然、わかっていないじゃん、穴ぼこだらけじゃん、そんな気がしてきましたです。
でも、咳の力を借りてまで、吐き出さなければならないほどのストレスって何なのでしょうか。
それは、100年前からわかっている。気が付かないふりをしてるだけ、見て見ぬふりをしてるだけ、わかっていてもわからないふりをしてるだけ。
ということで、オババはあれからずーと考えている、ストレスの根っこを、気滞の原因を? どうしようもないどうにもならないことを? どうするか?
どうにもならない? なら考えてもどうしょうもないじゃん……まぁ、そういうことだ。
で、「きたい」を変換すると「奇態」となって、笑わせてくれるじゃないか。
“「気を取り直す」ことは大切な才能
シビアな問題を抱えていても、お洒落や美味しいもので一瞬でも気持ちを上向きにし、能天気に見えて、自分の感情を決して他人に預けない強さ ” それが大切だと 故・田辺聖子は言っおりますです。
はぁ~。
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