老眼と老婦人のテーブル

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「生きる」って汚す汚れる、手間暇かけて金かけて

先日、ひとり暮らしの老婦人のお宅に伺いました。リビングには大きなテーブルが置かれ、そこにお茶の用意をしてくださいました。

気温が下がってきますと温かい緑茶、いいですね、それとオババの好きな皮の薄い豆大福……だが、うん? 何じゃ? これは、あれは? そっちにもあっちにも……。

その白木の? テーブルの上には、お茶とお菓子だけでなく、白い絹糸? じゃない、老婦人のものと思われる白い髪の毛があちらこちらに散らばっているではありませんか。

しかし、これだけ生きてきて今更テーブルの上の白髪ごときで動揺するオババじゃありません。見ない、見えないふりしてお茶ごっくん、大福ぱっくん、さっさといただきましたです。

その老婦人はその大きなテーブルの端で洗濯物を畳んだりアイロンをかけたり、ちょっとした手芸などをする多目的テーブル、作業台としても使っているようですから、髪の毛が落ちる、それもさもありなんでしょう。

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白木のテーブルの上に白い髪の毛、1本、2本、3本、4本、5本、束にでもなってない限り、加齢の進んだ裸眼では、見えませんですよ。

オババはその時、メガネ(老眼鏡)かけておりましたから、テーブルの上の小さなシミだって、その気がなくてもイヤでも目についちゃうわけよ、見え過ぎちゃって困るのことよ。

でも、まぁ、白髪はちょっと興醒めでありましたが。しかーし、髪の毛は厄介だ、髪の毛はいつでもどこにでも落ちる。で、眼も老いてきますと、小さなもの、髪の毛のような細いものが見えなくなる。

部屋の隅っこのほこりも床に落ちた髪の毛も、自分の顔の小さなシミもシワも裸眼ではよく見えなくなって、ある意味ナイス、物は考えようだ、となってきます。

何でも知れば見えればいいってもんじゃない。知らぬが仏を知らぬのか? ではありますが、掃除する時にはですね、たまにで結構ですから、度の合った老眼鏡かけることをお勧めしますです、はい。

で、しつこいようですが顔も、たまには、老眼鏡と拡大鏡を併用し、しっかりじっくり自分の老顔の点検、で、掃除とお手入れすることもお勧めします。どちらも大きなお世話でしょうが。

小さな親切、大きなお世話。

髪の毛やホコリくらいじゃ死にゃせん(どちらかと言えば、オババはこちら派じゃ)。

老部屋も汚部屋も老眼も老顔もそのうち慣れる、忘れる、自分の家や自分の顔は特にそうだ。

で、なければ人生やっていられない。

人生にはもっと大切なこと、すべきことがある! 

ほんとか? 知らん、知らぬが仏じゃ、最期にわかっても時すでに遅しじゃ。

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