■60歳頃からオートファジーの働きは低下
多様な働きを担うオートファジーだが、その働きは加齢とともに低下すると考えられている。「恐らく、オートファジーは60代ぐらいを越えると急速にその働きが低下する。各種の動物で加齢による低下が観察されているし、ヒトの免疫細胞などでも確認されている。抗体産生の低下やがん、パーキンソン病などオートファジーと関連する病気の発症率がこの年代で一気に増えることと関係があるかもしれない。まだ仮説の段階ではあるが、ある年齢に達してオートファジーが低下してしまうことが発がん率を高める大きな要因になっている可能性がある」(吉森栄誉教授)。
ということで60歳は、「病」が急接近してくる「老人時代」の幕開けなのだ。
今日は風が強く吹いていて散歩する気が失せてしまった。1日家にいると、なんかね、気が滅入っちゃうわね。
今でも、「いつの間に」こんな歳に……往生際が悪い? 50年前、40年前の幼い? 若い自分が今のワタシをみたらどう思うでしょうか?
えーっ、うっそー、まだ、生きているー。そして、この加齢姿に言葉を失い気も失うかもしれません、で、この暮らしはどうよ……うーん……。
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父が亡くなって25年以上、母は20年、父に関してはずいぶん昔のことと思えるようになりました。しかし、母の20年前はワタシにとって「ほんの、つい、この間」この前、ちょっと前なんですね。
あの頃のことは今でもはっきりくっきり思い出せます。そしてワタシはバリバリ元気な中年で(自分じゃ中年とさえ思っていなかった)夢も希望もありましたとさ。
そして母は別として、きょうだいも、みーんな若かった。若いといっても中年ですが、大した病気もなく言いたいことを言い食べて飲んで、自分の足でどこへでも行けた。
母の身体の不自由は、近い将来の自分の姿、明日の我が身と置き換えて考えることが、まだまだほとんど? できない、わかっていなかったのです。
あれから20年、あっという間でした。20年前、母に見ていた「年寄り」「老化」「老衰」、それが、今や、きょうだいの身に、そして我が身にも。
ワタシは正直、怖ろしい。
うーん、だからね、まだまだ、老け込んでなんかいられないわけ。こうしちゃいられんの、明日はまた歩かなくちゃ、電車に一駅だけ乗ろう、人混み避けて食料調達に。
老いも若きも、なんだかんだ言っても、結局のところ、よく寝て、よく動いて、きちんと食べる、これなのよ。あとは? 誰にもわからんのよ。
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