久しぶりに外に出た、今日も歩くだけで脚が痛い。この痛みには、怒りさえ覚える。まだ、この歳で、なんでこんな思いをしなくちゃならないのか。
母親を見ていて、ああ、なったらいかん、ということで脚には50前からずーと気も金も時間も遣い勉強もしてきた。ああ、それなのに、なんでこうなった?
母親でさえ、この歳にはまだ脚の問題はなかった、超元気だった、ああ、それなのに……自分の身体ひとつ、一部分さえコントロールできない、思い通りに動かない。
こんなに長生きするなんて、こんな歳になるなんて、30年前のワタシには想像だにできませんでした。
この歳で、まだ生きていて、この暮らし、で、この不自由な足、どうよ?
うーーーーーん。で、時々考えるんですね、これまでの人生を振り返って、どうよ?
で、思うんですね、脚の問題はあるけれど、それでも、うーん……ワタシって、やはり、相当、運がいいかも、ついているかも、と。
でも、傍から見たら、アンタのどこが運がいいんじゃい? とてもそうは思えんが。
はい、はい、そうでしょ、そうでしょ、それもわかりますですよ、大きなお世話ですけど。
でも、いいのいいの、どう思われようと、傍なんか関係ないの。ワタシって運がいい、そう思い込む、信じることが大事なの。
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そうなんです、そういう能天気さも持っていたこのワタシ、我ながらビックリ。
今日まで交通事故に遭わなかっただけでもスゴイ。何の落ち度もないのに天変地異や戦争で、そして事件に巻き込まれ命を落とす人もいる、病気だってそうだ。
そう考えれば、よくまぁ、今日まで無事に生きてきたものだ、つくづくそう思いませんか、それだけでも幸運の行ったり来たり、スゴイことじゃありませんか。
痛くたって歩ける、体調崩しても回復し食べられる、食べる物を買うお金はある、食料も店に行けばある。
で、ある部分、金は天下の回り物、今更ジタバタしてもしょうがない、という投げやり気分? 大雑把さ? 度胸? 諦めの良さ? 能天気さ? で、何とかなるのだ。
そして鬱々と落ち込んでも長続きしない飽きっぽさ、めんどくさがり。で、結局、大丈夫、大丈夫、ワタシは運がいいから。
上を見ても下を見てもキリがない。大満足とはいかないが、しかし、それにしてもワタシって、やっぱり、運がいいんだなぁ、そんなワタシって、変?
変でもいいのよ、そうして毎日、今日を生きていくのだ、生きてきたのだ。ということで、ほろ酔い気分になりまして、著名人の認知症は次回へと。
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