「暗転」もある、それが人生だ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ

今日も何事もなく終わっていく、ありがたいことだ

*注意報 ── 早速、今日は、ぐちぐちねちねちと暗くて鬱陶しい泣き言だわよ。そんなのイヤという人は読まないでね、それはアナタのためだから。

 

毎度毎度しつこいけれど、しかし、なんで、どうして、こんなことになったのだろう、と今日もまた考えてしまう。

歳をとれば病気にもなるだろう。でも一病息災、二病息災、病気となんとか折り合いつけて生きていく、それが年寄りというものだろう。

それくらいはわかっていた、それなりに多少の覚悟もしていた。しかし、それは歩けることが当たり前、前提の話だった。

歩ければ、歩ることさえできれば……。

でも、もし、家の中さえも歩けなくなったら……。

今は、そんなことばかり考えてしまう。

たった1年でここまで歩けなくなるなんて、この先のことを考えると暗澹とした気分になる、この先、生きていくのが怖い、今は明るいことなど考えられない。

しかし、痛くて体が思うように動かなくても今のところ生活は何とか回っている。休み休みならこうして座ってブログも書ける。

【スポンサーリンク】

 

── だからできないこと、できなくなることを考えるより、今できる事に感謝して暮らすべき、今を今日を生きるべき。

── 世の中にはもっと大変な人もいるのよ、そんな人たちのことを思えば、アナタなんて恵まれているほうじゃないの?

そんなことアンタに言われんでもわかとっとるわ、大きなお世話じゃ。わかっとるが、できない、他の人のことは知らんが、それがワタシだ。

何でもね、自分で体験してみないとわからないの。言葉だけなら何とでも言えるの。で、人生は何が起きるかわからないの、好転があれば暗転だってあるの。

と、今日もひとり会話を繰り返すワタシだった。

で、今、ふと閃いた。

“ 転んでもただでは起きない ” “ 禍を転じて福と為す ”  暗転から好転へ。

……うーん、そう考えればいいわけね。

しかし、今、転んだら、骨折するだろうな、一大事だな。で、年寄りが入院して寝たきりなると、次は……ああ、考えるだけで怖ろしい。

禍は禍だ、転も何ももう跳ね返すエネルギーなどどこにもないんだわ、と、暗いことしか考えられない今日この頃なのです。

【スポンサーリンク】