知ってしまったばかりに……
知らぬが仏 知らなければ心穏やかでいられたものを、痛みだって我慢できてたものを?
知らないで済むなら、知らない方がよかった。そんなことありませんか?
大きな病気 …… そんなこと聞きたくなかった、知りたくなかった。でも、逆に、今、知ってよかった、今ならまだ間に合う、そんなこともあります。
そして病気の話は深刻であればあるほど扱いもビミョーとなります。家族以外(家族にさえ)、知られたくない、そんなこともあるでしょう。
外へ出ることも人と会うこともほとんどなくなってしまワタシですが、それでも、この脚のことは数少ないご近所知り合いには、会えば明るく深刻に話しています。
でも、もし、万が一でなく二分の一のような、それも深刻な状態であればどうだろうか? そう簡単に口に出せるとは思えない。
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今年の春ごろでしたか、そのビミョーで深刻な話を聞いてしまいました。ある人 A さんから、ある人 B さんの家族の病気のことを。
ブログとはいえ、事が深刻であるだけに詳しいことは書けませんが、驚きました、言葉を失いました、だってまだ若いんですよ、そして色々諸々……明るい今が未来が。
で、その後、勿論 B さんに会ってもそんな話はしません出ません。が、先日、ちょっと B さんとその病気の家族と会うことになりまして。
それも「おめでたいこと」で、会ったのですが、なまじ事情を知っているだけに、どう接していいものやら、なんかやたら明るく振る舞ってしまうワタシでした。
でも思ったよりとても元気そうでほっとしました。しかし病気も命も歳の順とはいかなくて、昨日まで健康だったからといって今日、明日の保証はありません。
コロナで命を落とす人だっている。そんなこと少し前には誰も想像だにできなかった、でもこれが現実だ。
先日、書いた身近な人のコロナ死だって、亡くなった当の本人は自分が死ぬこと、死んだことさえ知らないのではないか。
なんだかまた話が暗くなっていきそうです。なので今日はこの辺で、またお会いしましょう。
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