親の老い・きょうだいの老い・そして自分の老いは

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肉が食べたくなくなったら、豆が好きになっていた

暑いし睡眠不足だし、病院の待合室のあの混み具合を想像しただけで気が萎える、薬を受け取るだけなのに毎回、何故こうも疲れるのか。

昨日は病院から帰ると6時を過ぎていた、料理する気力は完全に失せ、レトルトカレーとレトルトご飯、そして缶ビーで夕飯を済ます。

しばらくするとモーレツな睡魔に襲われ、ちょっと瞼を閉じたらいつの間に z z z z z Z Z Z Z Z Z Z Z……。

ああ、すっきり、でも、そのせいでベッドに入ってからまた眠れなくなってしまった、というわけで今日も寝不足、もう、メチャクチャだ。

 

子供の時は「カレー」が大嫌いだった。だからカレーの日はカレーを食べないワタシのために料理不得手な母が卵焼きとか焼き魚を別に用意してくれた。

好き嫌いのはっきりしたガキでした。

誰に似たのかしらね、この子は、好き嫌いが激しくて。

はい、それはアンタですよ、お母さん。

その母が80もいくつか過ぎた頃、近所の人に、

「今、母が生きていたらどんなにいいかしら、と思ってね」

たまたまそばでそれを聞いていたワタシは、えー、何を言っているのだ、この母は、自分の歳もわからなくなってしまったのか、と思ったものですが……。

先日、「今、母が生きていたらな、今こそ、色々な話ができただろうに」なんてことを思わず思っていて、

あれー、ちょっとー、やだー、これって、母と一緒じゃない、えー、どういうこと、で、生きていれば今、母はいくつ? 無理だよね、その前に母の性格がね……。

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10年ほど前、1年ぶりに? きょうだいと待ち合わせ、遠くから手を振りながら近づいてくるきょうだい、その顔が……。

あれー、亡くなった母とそっくりではないか。そうなんだ、似てくるのだ、歳をとると、うーん、これをどう捉えればいいのか……。

けれど、きょうだいには、このことは黙っていた。

あの日からもう10年くらい経っただろうか、そのきょうだいと久しぶりに会った。

あれー、歳……とった。母親の晩年より、まだ、ずーと若いはずなのに、その顔はもう母とは似ておらず、どうして、なんで……。もちろん、そんなこと言わない。

親の老いも、きょうだいの老いも、他人の老いも、残酷なほど、よくわかる。

それがわかるということは、自分もそれだけ歳をとっているわけで、それはお互い様、親しき仲にも、言わぬが花。

でも、自分の老いは、たとえば全身の後ろ姿や歩く姿、頭のてっぺん、普段の顔、怒った顔、食べる、咀嚼している口元、等々、見えない、見ずに済む。

だものだから、これが、これは、これで、ありがたい、知らぬが仏、心穏やかに加齢なる日々を過ごせるわけです、そう思いますです、はい。

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