何を誰を信じればいいのか…他人(ひと)の痛いが気になる、参考になる

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雨降ったりやんだりの肌寒いような日、でも心はそうでも、ないかなあるかな?

整形外科の先生は、ワタシの脚がこうなった原因に、他の病気の可能性をまだ捨てたわけではなさそうです(ワタシはその可能性は、もう、ない、と思ってますが…)。

なので先日は、ワタシの手の指、手首の変化、可動域を調べるためか、この年寄りの手を掴み、指を手首を、思いっ切り力技で反らせ、曲げやがったのでありました。

イタタタタタ、何するんだー、いたい、痛いじゃないか、このー、無礼者。思わず、そう、心の中で叫んだワタシでした。

そして背中や腰をまたまた思い切り叩かれまして、「大丈夫ね」と訊かれたので、ええ、大丈夫ですと大きな声で答えました。

すると先生、「本人が大丈夫と言うのだから大丈夫だな」と、デカい声で仰いましてね。

ええ、そうですわよ。ですから、これからここへは、多くて3週間に1回、1ヶ月に1回、もしくは2ヶ月に1回でよろしいのではないでしょうか? 

で、先日、先生が言われましたように「何かあれば来る」、そんなところでいかかでしょうか?

勿論、そんなこと口にはしません。ですが、それでいいかな、そうするかな、そうしよう、っと。

夕食後に服用する鎮痛剤はワタシが勝手に缶ビーに置き換えていますから、山ほど薬は残っております、朝も同じ薬なのでそれで当分、充分事足りるでしょう。

「『 手術 』するにはまだ早い 」先生のその言葉は信じて、できればこのまま引っ張って引き延ばして、なんとか命尽きる日まで、そう願いますが、それは甘いでしょうか。

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痛みと暮らす日々。ですから最近、やはりどうしても気になるのが他人(ひと)の痛み、肉体的な痛みは勿論のこと精神的なものも含めて、そんな人が気になります。

病気になった時、検索するのは恐怖でもありますが、それを超えると、今度は経験者の話や情報が参考になったり役に立ったりもするのです。

全く同じ病気、同じ症状ではなくても、大変なのは自分だけじゃない、と勇気づけられることも多々あります。

「同病相憐れむ」たとえ異なる病であっても、ちょっと後ろ向きであっても、体が心が弱っている時は、ずいぶんと慰められるものなのです。

アナタの痛いもワタシの痛いも、痛いの痛いの飛んでいけー!!! ついでに老いも、不眠も不調もイヤなものはみんなみんな、飛んで行って欲しいものです。

 

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