2ヶ月前よりはずーとラクになったとはいえ、ゴミ捨て、洗濯干し、入浴などなど日常生活において当たり前に難なくできていたことが、この脚のせいで今では大変な作業となってきました。
行動に移す前に必ず脚に負担のかからない方法を考え、1回で持ち運べたものも今では小分けして何回もと、手間も暇もかかるようになった。
そして、和らいだとはいえ「痛み」はいつも動きと一緒について回る。しかし、2ヶ月前のことを思えば贅沢は言えない。
この前のオリンピックには興味もなかったワタシだけれど、開催前にパラリンピック競技の選手がラジオ番組にゲスト出演していたのをたまたま聞いていた。
ながら聞きだったので選手の名前も競技名も詳しいことは覚えていないけど、その選手の言っていたことが印象に残って今でも時々思い出しては、自分に言い聞かせている。
その選手は、ずーと以前に、怪我だか事故だかなんだかの理由で体の一部、機能を失ってしまう。で、その直後は悲嘆にくれ投げやりにもなった、生きる希望も失った。
今までできていたことが、できなくなった、できないことばかりを考える。でも、そのうち、これって、「歳をとる」ようなもの、そう考えるようになった。
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若くても色々な理由で身体が不自由になる。でも、それは「歳をとる」ようなもの、歳をとるということは、誰でも、できないことが増えていくこと、いずれ誰もが通る道。
そう考えれば、どうってことない、受け入れるしかない。できないことを嘆き苦しみ悩むでなく、できることをすればいい。
で、彼はその後、努力に努力を重ね、こうして日本を代表する立派な選手になりましたとさ。
誰だって、生きている以上、歳をとっても体も心も自分の意思で動かせる、動く、最期の日までそうありたい。
でも、悲しいかな、ほとんどの人は、そうはいかない。去年まで、つい数か月前まで、簡単にできていたことが、そうはいかなくなる、そして、やがて、できなくなる。
加齢共に、できないことが増えていく。確かに、そう考えれば、ワタシのこの脚はかなりの想定外ではありましたが、それでも、
脚だけ、他のところより、加齢が、早目にやってきた?
人によって、その場所は人それぞれ、たまたまワタシは脚だった、他にもあるかもしれないけど……。
そう思えばいいのかな、高齢になって脚の不調に悩まされる人は大勢いますから、ワタシもそのなかの1人。
とは言っても、まだ歩けます、1人で買い物だっていけます、そう考えたらまだ大したことない、そうも言えます。
若くして身体が不自由になってしまった人のことを思えば、この年寄りが杖をついていたって、あまりに当たり前の光景で誰の関心も引かないでしょう。
たまたま脚だけ、他のところより、ちょっと加齢が進んでしまった。
でも、この加齢速度を速めないよう、より進ませないよう、年寄りは年寄りなりにちょっとは努力しなくていけません。と、自分に言い聞かせ……。
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