午前中、お隣の奥さんが田舎から送ってきたからと「柿」を持ってきてくれた。ありがたいことじゃ、と喜んでいただく。
で、午後に(車で)〇〇へ(スーパー)に行くけど、一緒にどう? と誘ってくれる。勿論、行くでしょ。
しかし、スーパーに行っても、今日は〇〇を作ろう、△△が食べたい、が、なーんにも思い浮かばない。肉も食べなくなったので、より変化なく、食べたいものもない。
料理が得意じゃないワタシが、仕事を辞めてから1年以上、ほぼ毎晩、料理を作っているんだもの、当然といえば当然だ。
そして最近は、カップラーメン、レトルトカレーにレトルトご飯、買ってきた総菜をその容器のままテーブルに並べる、手抜き、やる気のなさも急上昇中。
もし、(口うるさい)夫がいたら、口うるさくなくても、これじゃ、いくらなんでも済まないよね、マズいよね、と思う。
ずーと前、子供のいない料理不得手オバサンと話していた時に、「子供がまだ小さかったりしたら、どんなに忙しくても疲れてても、料理は頑張る、頑張れると思う」
「そうだね、子供のためならね」、と子供がいない料理不得手おばさん2人の料理への思いは一致したのだった。
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隣のダンナさんは良く動く人。洗濯して干して布団も干して取り入れて、早起きして庭の手入れ車の手入れ。
そして、モノを作る器用さも持ち合わせているようだ。しかし、料理だけは一切しない。
けれど凝り性でもあるダンナは過去に1度だけ「カレー」に凝り、挙句、キッチンはゴチャゴチャ、後には使いようもないスパイス類がたくさん残った。
だったら、もう料理なんかしてほしくない、と奥さんは言う。
確かに。でも、このダンナ、料理はしないけど、食べ物の好き嫌いは相当あるようで、料理はダンナの好みに合わせているようだ。
それを聞いたワタシは、無理無理、絶対、無理、そんなことできない。それが毎日? 考えただけで、うーん…………。
「料理」、誰かのためなら……できる、頑張れる。「おいしい」と言われたら、嬉しい、もっと、頑張ろう、美味しいものを作ろう、と思う。
若い時なら、それも分からないでもないですがね。でも、もう、そんなエネルギーもパッションもありません。
以前も同じようなこと書いておりました。2019年、この時から約3年……歳とりました、疲れました。
今じゃ、子供のため? 孫のためでも? うーん、頑張れないかも。
で、自分のために料理……最近、それも全然、楽しくないですわ、困ったね。
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