見慣れた景色も、躰が変われば違って見える、そして10 円を拾う

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ーしみじみと晩秋ー

脚が不自由になり家から出なくなって5ヶ月が過ぎようとしている。

だから今ではゴミを捨てに行くことは、脚のトレーニングだと思うことにした。

ゴミを捨て身軽になった帰り路はちょっと遠回りをしてみる。杖をつき、休みながら、ゆっくり歩く。

たった5ヶ月だけれど脚の衰えを痛切に感じ、10年くらい老け込んだような気分になる。

脚に問題がなかったころは、この見慣れた景色に、もう飽きた、つまらない、これでは歩く気も失せる、失せた、なんて思っていた。

しかし、歩きたくても歩けなり、出かけることもままならなくなると、外に出る、それだけで毎回、新鮮な気持ちになって、ちょっと大袈裟だけど感動さえする。

つまらなく退屈だと思われた景色が、最近は美しい! 風景画のようだ! そう思うことさえある。

そしてこの晩秋の枯葉散る道をもっともっと歩きたい、なんて思ったりして、躰が変わったら気持ちまで変わっていた。

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で、今日は、足元に注意して下を向いたら、黄色、茶色の落葉の中に、あれ、あら、まあるい茶色が……何でしょうか?

目を凝らしてじーっと……10円玉だ。勿論、拾って持ち帰りました。

と思っていたら……ないの……変なの。

どうしたのだろうか? 全く記憶にない、拾ったことは覚えているが。

それも今、こう書いてきて思い出した、で、探してみた、やはりない。

そして記憶にまるでない……怖いですね、忘れてたことも、忘れておりました。

思い出しただけ、マシ、10円で済んだ、それも拾ったもの、そう考えればいいわね。

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