「きょうだい」、同じ親から生まれ同じ環境で育ったはずなのに、違う、全く違う、その思いがより強くなってきた。
顔も違えば性格も相当違う、外見が違えば中身も聞いてる限り知っている限り、違う、全然、違う、とそう思う。
子供の頃はきょうだいの年齢による序列がはっきりしてましたから、年上には逆らわずまぁ、こんなものと素直に? きょうだいの性格? 個性? を受け止めていたような。
が、しかし、お互い、大人になったら生活環境もそれぞれすっかり変わり、価値観も人生観も違ってきます。
かって、あれだけ高いと思われた年齢の垣根はずっと低くなり、あるにはあっても昔のようにとはいきません。
すると、年上だから年下だからは通用しなくなり、年下が年上を批判するようなことも起きてきます。
えー、この人は、こんな性格だったっけ? えー、この金銭感覚どうなってるの? えーっ、えーっ、うっそー、信じられない、なんてことがあるわけです。
しかし、それはお互い様、それを忘れちゃいけません。が、しかし、つい、つい、自分基準で、自分の物差しで、ひと言、言いたい時がある。
でもでも、言わぬが花、ここが我慢のしどころ、でもでも、わかっちゃいるけど、止められない。
あーあ、言っちゃったよ、で、時すでに遅し、当然、はい、それまでよ、と、なりかねません。
それでも喧嘩しているうちは、お互いまだ元気な証拠かもしれません。
そして、これだけ違う、似ていない、似ても似つかないと思っているきょうだいであっても、他人は、無責任に、言うに事欠いて「よく似てる」なんて言うのです。
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そして最近、つくづく心配になってきたのは、きょうだいの「老い」です。
自分の老化現象には多少、慣れもしてきましたが、久しぶりに会う、話しをするきょうだいの老いは見た目だけでなく色々とショックを受けることが多くなりました。
母親の老いを見ていたのはついこの間。きょうだい、そして自分の老いなど、まだまだ遠い遠い先の先の話、と思っていたのに……。
それなのに、きょうだいはいつの間にかこんなに歳をとって……かっての晩年の母のようじゃありませんか。
きょうだいの老いはあまり見慣れていない、知らなかった分、ある意味、自分のことよりショックが大きいかもしれません。
そしてきょうだいは私を見て、同じように思ったでしょうか。
でも、そんなことは、お互い、おくびにも出しません。それが親しきなかにもエチケットなのでしょうから。
「老い」、しかし、ほんと、ちょっと怖くなる時あるのよ、マジで。
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