「年賀状じまい」挨拶なしに先に切られたら、ちょっと凹んだ? 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ

何でも、「終わり」にするのは結構、ムズイ!

今日もいい天気だった。運動不足解消のため杖をつきながら近所をちょっと歩く。

年寄り歩けば、年寄りに出会う。で、この時とばかりにお喋り始まる。今日のお相手は、ひとり者70代女性、以前は外に出るたびに出会った人だ。

久しぶりー。

で、彼女が言う。年賀状じまいをしよう、と思って、結局、去年もできず、でも今回ばかりは、絞りに絞って15枚だけにした。

が、年が明け今日4日までに彼女に届いた年賀状は出した数15よりずーと少なく、9通ぽっち、去年よりずーと少なくなっていた。

そして9通のうち営業用が2通。あれだけ考え考え抜いて絞りに絞った15通、15人だったのに、ああ、それなのに、自分も切られていたとは、挨拶も無しに。

それが、ちょっとショックだった、と言う。

【スポンサーリンク】

 

そんなものだよ世の中は、相手も思うことは一緒、またこちらが思うほど相手はこちらのことなど思ってはいない。

ましてや仕事で関わった人がほとんどだもの。賀状だけの行ったり来たりは時間の問題、遅かれ早かれ消滅したんでないの。

私に言わせりゃ、昔の仕事関係で、年賀状のやり取りだけとはいえ、ここまで続いた方がすごいこと、そう思いますが。

でも、おかしなもので、こちらから切ろうと逡巡してた相手に、挨拶もなしに先に切り捨てられると、やはり、ちょっとショック、かしら。

その点、このオババさまは気楽なものだ、賀状はとっくの昔に届ける相手がいなくなった、だから当然、届きもしない、期待もしない。

それでも、ついこの間までは、どこかのお店から営業用のソレが届いてたこともあった、が、しかし、今は、なーんも無い、それさえ届かない。

うーん、スッキリしたものだ。

しかし、そうは言っても年賀状、届けば嬉しい、懐かしい人なら尚更だ。届けたい人だっていないことはないのだ。

で、本を読むなら紙がいい、「あけおめ」も、やはり紙で届けたい、そして届けてほしい。

年賀状も家で簡単に印刷できるのに、届ける先が、相手がいないのだった。

まぁ、それはラク、と言えばラクなんですけどね、まぁ、ないものねだり、そういうことでしょうか。

【スポンサーリンク】