昨夜は1時半ごろ入眠、8時10分に目覚める。中途覚醒があったかどうか記憶にない。良く寝たのか? わからない、そんな気が全然しない。
頭も顔も、ぼわーん。でも天気がいいので買い物に行く、年が明けて2回目のスーパーだ。
今日も買った物は、ほとんどが食料品、スーパーだから当然と言えば当然だけど。
重い、脚に負荷がかかり、痛い、そんな思いをしてまでも買い物へ行くのだった。
生協で届けてもらうのもほとんどが食料品。なんでこんなに食料品ばかり購入せねばならんのか?
それは食べてしまうからだ。だけど、なんで? 誰が? そんなに食べるわけ? 私が? それが不思議でならない。
もう、あれがない、これがない、と、いつも食料品の調達に追われているような、最近は特に、つくづくしみじみそう思うのだった。
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加齢してコロナと脚の不具合で、どこにも出かけず誰とも会わず、家の中に引きこもっているから余計にそう思うのだろうか。
しかし、それにしても……クウネル……それだけ? それしかないわけ?
そう言われると、うーん、ではあるけれど、年寄りが、それだけあれば上等だ。
近所のババチャンが言う、「食べられるうちよ、食べられなくなったらお終い」。
そして世の中には食べることさえままならず、こうしてる間にも飢餓で亡くなっていく人がたくさんいる。
それを思えば、働きもしない毎日グータラが、こうしてお腹いっぱい食べられ、食料も買える、手に入る。
これは有難いことだ、毎晩、そう思い感謝もしている。
なのだけれど、うーん、年寄りだからって、これでいいのだろうか?
そう思うのは、年寄りとは言え、人間だもん? だからか?
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