愚痴をこぼす人ではないけれど、昨日、ウッカリサンが「(今、人手の足りない職場は忙しい、だから)いいように使われてるみたい」と言う。
それはさ、ウッカリサンが優しい、いい人だからよ。
そして健康で、すっごく丈夫そうだもの。これは言わなかったけどね。でも、これ褒めてんのよ、マジで、マジ、羨ましいんだから。
そして誰に対しても強いことは言わない、文句や愚痴も、喧嘩なんてありえない。ましてや人の悪口なんか、絶対、言わない人でしょアンタって人は、私と違って。
そのおっとり感が、お人柄が、見た目に表れているもの。だから、つい、甘えてるのね、職場の人も。
まぁ、今はちょっと大変かもしれないけど、また、少しゆっくりできる時もくるでしょ。
その歳で必要とされてる、当てにされてる、人助け、そう思ってちょっとの間、頑張っれ!
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で、今日、外を歩いていたら、あれ、あそこから出て来たあの車は、あのジイサンだ。
先日、すれ違った時に、ププーとクラクションを鳴らした、近所のあのジイサンだ。
で、今日は、運転席の窓が開いてて、ジイサンが私に手を振った。
私は立ち止まり、こんにちはー、と明るく大きな声で挨拶し、大きく手を振り返す。
優しいジイサンは働き者ジイサンでもあり、そして見た目が可愛いらしいジイサンである。
そのお人柄は、全て、見た目に表れて、ジイサンよりジイチャンとチャン付けが似合う。
こうして人のことはわかるけど? わかったふうなことを言ってるけど、他人に自分はどう映っているのかしらね?
滲み出ちゃうのよ、今まで生きてきた人生が、お人柄が、人となりが。
顔だけじゃないのよ、全身から、立ち振る舞い、言葉遣い、じわ~、じわわ~と。
その場しのぎでいくら取り繕っても、どこからともなく、じわ~、じわわ~と。
とまあ、偉そうに勝手なことを言ってますが、では、自分はどうなのでしょうか? どう見られているのでしょうか?
人付き合いが限りなく少ない私ですが、それでも、ご近所さんとは挨拶くらいは交わします。
そんな時、あっ、あの怒りっぽくて気難しそうなバアサン、性格悪そう、意地悪そう、だらしなさそう、不潔そう、近づかないほうがいい、挨拶なん交わしたくない。
今のところ、ここまではないと思いますが? これからもっと加齢していったら、うーん、わかりません。
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