今日、電気毛布が届いたと、アンタからお礼の電話がありました。で、壊れた古い電気毛布の製造年度を見たところ、ななななんと、1994年製、だとーーー。
うっそー、また見間違い、読み違い、勘違い、思い込みじゃありませんか?
「間違いない。ハズキルーペかけて何度も確認した」
そうですか、ということは、なんと約29年前、29年? 計算あってる? 1994年? 丁度、電気毛布が出始めた頃?
何だか知らないけれど、いずれにしても洗濯に耐え、ゴネることもなく29年の寿命って、スゴイ!
驚き桃の木山椒の木、にわかには信じられませんが、ご長寿・電気毛布、表彰したいくらい、感動ものです。
でも29年前は、特別、高価な買い物でなくても、こうして丈夫で長持ち、品質の良いものが売られていたわけですね。
「また、ひとつ、昭和よ、さようなら。電気毛布さん、長きにわたりご苦労様、ありがとうございました」
そんな気持ちになったと言ってました。そうでしょうね、しかし、ふと、29年って……今から29年後って……それは考えない方がアナタのため私のためだから。
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ー老いと痛いを見つめてー
紙のノートに身体不具合、不調・不眠日記みたいなものを書き出して早10ヶ月。去年の夏ごろのメモを読むと、痛みは今かなりラクになっているのだった。
それも薬あってのことだけれど、不眠でもって尚更、痛みで眠れない、痛みで目が覚める、それがなくなっただけでも、ありがたい。
そして1週間ほど前からまたセキが出るようになった。と同時に、何だかムセるようにもなってきた。
先日は水を飲んでるときにむせ、勿論、食べ物でもムセる、しかし、今に始まったことじゃないということもわかった。
しかし、↑ この頃はまだ、そう頻繁ではなかった。当時と比べると、その頻度は、はるかに上昇して、今や、みたいじゃなく、年寄りそのもの、でしょうか。
で、顔を見れば、このところ眉毛もだいぶ、眉尻が、眉尻が、あーあ、残念無念、そんな感じになってきた。
ー老いの中にも「若さ?」がー
残念を挙げればキリがないけど、でも、そんな「老い」の「中」にも、気を付けて観察しているとささやかな「若さ」みたいなものの発見が、たまにまれにある。
眉毛が半分しかないスッピンでも、肌にツヤがありクスミが薄れちょっと透明感がある。そしてなんといっても頬がほんのりピンク色ーーーーー。
うっそー、年寄りじゃないみたい。そんな日があったりしましてね。
あくまで自惚れ鏡で自己満足の世界ですわよ、でも、それも大事だと思うの。
何でもいいのよ自己満は。私ってワタシって、結構スゴイじゃん、やるじゃん。
毎日、自己不満足ばかりじゃね、やってらんないわ、やさぐれちゃうわ、ぐれちゃうわ、よたっちゃうわ、家出したくなっちゃうわ。
そんな元気があればいいですが、鬱々は、辛い。
そうならないために、年寄りだって、年寄りだからこそ、心の健康、心の若さ、身の程知ってる多少の自己満は必要よ、大事なのです、はい。
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