今日は図書館へ本の返却、そして買い物を少し。と出かけたわけだが、近場とは言ってもこれほどまでに支度に手間暇かけなくなったとは……。
どうせ、そこまで。どうせ、この歳。どうせ、誰も見ちゃいない。
こうして一事が万事、物事にあまりこだわらなくなった、ような。
なぜか? それは加齢に伴い? メンドクサイ病が重症化してきたからではなかろうか?
それでも、この歳でも、こだわること、譲れないこと、は、ある? じゃろか?
うーん、思いつかない。
かって、某老舗メーカーにマスクに関して手紙を送ったほど、マスクにあれだけこだわりを持っていた、あの自称・マスク評論家はどこに行ってしまったのか。
こだわらない、気にしない、それは大らかさでなくズボラメンドクサイ、全てはそれにつながるのだった。
先日のランチでウッカリサンの夫の話になった。この夫、見かけによらず、あることに関しては非常にこだわる人だということが、妻の話でわかった。
本人にとってその「こだわり」は大問題で大真面目なのだろうが、それを聞いた私たちは大笑い。
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「誰でも、何かしら『こだわり』を持っているものなのよ」とモウヒトリサンが言う。
そうでした、そう言う彼女もあることにはとても「こだわり」があるのだ。彼女は気付いてないと思うけど。
もちろん言いませんよ、そんなこと。でも、彼女のその「こだわり」も私にとってはちょっと笑えるのだった。
で、もう1人は私の知り合い、何を隠そう、私の身内のことでもあるけれど、前にも書いたとおり?
1回の洗濯に全自動洗濯機で、いついかなる時も2時間かけるのだった。
どうしたら2時間もかかるのか? 何のための全自動なのか?
洗濯に対するその「こだわり」は笑いも呆れも通り越すほどだけど、料理や掃除に関してはまるで興味も関心も示さず、しない、やらないを通すのだった。
なくて七癖、十人十色、人生色々、人のことなら見える、言える。
しかし自分のことは意外と見えてない、わからない、気が付かない。
私には、人に笑われるような「こだわり」や「くせ」なんかないはずですけど……。
ほら、そう言う、その顔、その表情、その癖、おかしいですよ、変ですよ、やめたほうがいいですよ。
なくて七癖、自分の顔は鏡を通してしか見られない。だから自分の顔といってもそこまで責任持てない。
知らぬが仏、それが救いだ。
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