「年相応」は、大きなお世話

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無駄の多い生涯を送ってきました…人生には無駄も必要だ…

年寄りなりのそれなりの美貌と若々しさを求め、今日も明日も明後日も。

無駄な努力だと人は言うけれど、いいじゃないの、自己満で。

 

でもさ、年寄りなりのそれなりは、年相応とは違うのよ。

“ 〇〇代は ───── 年相応が良い ” 

シニア世代に向けた記事でありました。が、それこそ大きなお世話じゃ。

シニアだからこそ、そんなものに縛られず、好きにすればいいのだ。学校や職場じゃあるまいし。

大体だね、年相応といったって、見た目も、健康年齢も、それこそ千差万別、それがシニアというものだ。

十人十色、顔が違えば、体質も気質も人生観も価値観も何もかも違う。それを十把一絡げ「年寄り・シニア」で括るでない。

髪の色も、化粧も、着るものも、好きにすればいいのだ。

他人に迷惑かけるわけでなし、自分の気分が上がる、気分がいい、それが何より。

とはいえ、ヒトに見せたくない部分が増えてきましたわ。

体であれば、着るものでカバーできますが、顔は困りましたね、どうしましょうか?

諦めますか? 開き直りますか?

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年寄りだって年寄りだから、亀の甲より年の功。

ブス―とした不機嫌・無愛想シニアより、ブ〇でも表情豊かな明るいシニアを目指しましょ。

その笑顔が人の心を和ませ、アナタの魅力をも上げることでしょう。

ほんとか?

知らん。自己責任でお願いします。

ヒトに、どう扱われるかは、アナタ次第。

年寄りだからって、ナメンナよ。

年寄り扱いされるのは、不愉快、でも、優しくはされたい。

この線引きが難しい。

でも、それは年寄りの言い分。若い人から見れば、60も過ぎた人は、みーんな老人だ。

しかーし、若く見える人とそうでない人。同じ歳でも、席を譲られる人とそうでない人。

座りたし。けど、席を譲られるのは……ましてや、「オバアサン」などと声かけされたら、ああ、面白くない、不愉快でさえある。

で、思うのですけど、年寄りにラクは欠かせませんが、やはりですね、人前では、年寄りなりのそれなりの多少の「やせ我慢」も必要じゃないでしょうか。

年寄りは、ひとたび、タガが外れたら、外したら、ドドドドドドドドドドーンとどこまでも、加齢なる下り坂は、上りなし、一通・底なし坂なのである。

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