年寄り、近所に「救急車」で思うこと

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できれば乗りたくないものです…

ボーッとしてる間に5月も終わってしまった。

こうしてそうして先月も今月も来月も同じことを言い、半年後も来年も、死ぬまでそんなことを言い続けていくのだろうか。

しかしね、月日の経つのが、これほどまでに速いとは。近頃とみにそう思えてならない。それもこれもぜーんぶ加齢のせい、そうだわね。

いつの間にやら、こんな歳に? よりによってこの私が? この期に及んでも、いまだ納得できない、ような。

 

さーて、そろそろ寝てやるか。眠れるかどうかはわからんが。どうかどうか 今夜こそ、この年寄りに心地よい眠り与えてたもれ、お願いします。

うん? ……聞こえてきたぞ、ピーポーピーポーが。だんだん近づいて来るではないか。

なんたって年寄りだらけなんですから、深夜の救急車も珍しいことじゃありません。

止まった。ちょっと離れているようだけど……知っている人? 大丈夫か? どうかはわからんが、いずれにしても救急車だもの、大ごとだ。

まもなく午前1時、そして寝間着姿の私は考える。

この時間に救急車、ということは、運ばれる人は、当然、寝間着姿。そして多分、年寄り。

救急車、それは人を時を場所を選ばず、選べず、まずは救命。

ではあるけれど、もし、今、この格好で……。

そして自分の寝間着姿を姿見に映し、上から下まで、しみじみと冷静に見つめ……。

「いつなんどき、そういうことになるかもしれないのだから、古ぼけた下着なんて身に着けてちゃ駄目よ」

昔、そんなことを誰かが言っていたのを思いだす。うーん、確かに。

ちょっと頭の片隅にでも入れておいた方がいいかも、下着だけでなく寝間着のことも。

そして、独居なら、救急車を呼びたくても、体が動かせなくて呼べないこともあるだろう。

そんな時、なまじ正気だと辛いな、苦しいな、それに痛みなんかあったら、絶望だ。

それなら、いっそのこと、速やかに……そんなことも考えてしまう。

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かって救急車に1度だけお世話になったことのある私。

あの時は若かった。大都会のとあるビルの1階。床に横たわったまま(立ち上がれない)、激痛に耐えながら救急車を待つ辛さ。

とはいえ、こんな人前で、こんな醜態をさらしてるという、この羞恥。

今、思いだしても穴があったら入りたい、ああ、恥ずかしい。でも、そんなことを言っていられるのは若かったから、そして今が元気だから。

今、この歳だったら、打ちどころ最悪で死んでるかも……ああ、怖ろしい。

というわけで、救急車、他人事じゃありません。そして深夜、色々なことを考えさせられます。

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