脚の調子がいいと、それだけで気持ちが明るくなる、前向きになれる。
調子の悪い日は気が沈むけど、1年前と比べたら雲泥の差、そう考えれば、スゴイ! そう思える。
そして動き歩きが不自由になったせいで、他人のちょっとした気遣い、親切、優しさが身に沁みるようになった。
赤の他人の親切、気遣いに触れるたびに、感謝、感動し、その優しさは、こちらの気持ちまで優しく素直にしてくれるのだった。
近所のオッチャンにも、力仕事で助けてもらったことがあり、非力な年寄り姉妹は、
「ありがたいね、やさしいね、しんせつだね、いい人だね」と何度も何度も感謝感激したものじゃった。
しかし、あれだけありがたがっていたのに、時間が経てば、その気持ちも薄れ、忘れていくのだよ。
そうしましたら本日、そのオッチャンに5ヶ月ぶりにバッタリ。改めてお礼と感謝を述べることができました。
アナタのあの日のあのご親切は、生涯、忘れることはないでしょう。
それくらいの気持ち、マジで。この気持ち、忘れちゃいかん、マジで。
ですから私も、「他人には親切に」「情けは人の為ならず」
できるできないは別として、その気持ちだけはいつも持っていよう、そうつくづく思うのでした。
と、この年寄り、今日はいい人ぶりっ子になってしまいました。
はい? 言うだけなら誰でもできる?
はい、その通り。そこんとこ肝に銘じます、マジで。
【スポンサーリンク】
全身の力が抜けて歩くことも、軽いモノさえ持つこともできなくなっなってしまった姉。
何か重大な病気が……もう2度と家に帰ることができないかも、と本人も相当の覚悟を決めて病院に向かった、あの日。
事前に連絡を入れてあったので、診察前の聞き取りもスムーズ、なおかつ親切丁寧にしていただき、姉は目に涙を浮かべながら、
「みんな優しいわね、親切ね」そう言った。
で、いざ、診察室へ。
姉の緊張がこちらまで伝わってくるが、先生はこちらの気持ちなど忖度せず、追い打ちをかけるように怖いことを言う。
そして、検査、検査結果。
ドキドキ……
ところが、あれれ、うっそー。命に関わるような深刻な病気は見つからず、拍子抜け。
良かった、良かった。姉の安堵はどれほどのものだっただろう。
その後、処方された薬が良く効き、姉は少し歩けるようになった。
再び歩ける喜びに姉は感謝し、これまでの動かない歩かない生活を反省し、杖をつきながらも、散歩に行くようになった。
「ありがたい、歩けるって、ありがたい。怖い病気も見つからず、この幸運に感謝」
ところが、それも「喉元過ぎれば」その気持ちは日ごと夜ごとに薄れ忘れ、散歩は数回で打ち切りとなった。で、それっきり。
ということで、今はその病気より、その「フレイル」が怖い。忘れっぽい年寄りはそう思のです。
【スポンサーリンク】