寒いし雨だし、なんか気分が上がらない、気が沈むというより不機嫌と申しましょうか。それでもおばはんは今日もまた仕事に行くため電車に乗りました。
雨の日の電車の中は不快指数が上昇しっぱなし。
そんな中、私の斜め前に座るシニア女性のお姿が目に入りました。
「昔は、きれいな人」だっただろうな、そんな人でありました。
昔の美しさが充分想像できるくらいですから、年老いたとはいえ、今もお綺麗なことには変わりないのですが、寄る年波は容赦なく美人にもそうでない人にも公平に訪れます。
でも、違うのは、美人はいくつになってもこうして昔と今を比較されてしまうのです。
昔は、元は、それも本人にとっては煩わしいことだろうな、などと元・美人の気持ちに成り代わってひとり思う雨の朝でした。
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某男性作家があるエッセイの中で「美人は社会の宝だから」と書いておりましたが、花の命は短くて、あっという間に「美人」の前に、「昔は」「元は」が付くようになります。
その肩書を何十年と背負っていかねばならないのも美人に生まれついた宿命? 美人税とでも言いましょうか。
どこへ行っても誰と会っても、「昔は……」それも重いことだわね。
それでも、「昔は」「元は」と付けば、それはそれで「特別枠」となり、昔も今も比較されない世間一般のオバサンより特別扱い、優遇されることがあるかもしれません。何と言っても重税を収め続けているわけですから。
そんなくだらないことを考えているうちに電車は目的地に着き冷たい雨の中一人ぶつぶつつぶやきながら職場へ向かった「昔は…」の肩書のないおばはんでした。
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