「できないことばかり数えないで、できることを数えましょうね」
脚の痛みがピークを越えたとはいえ、無くなったわけじゃない。今も痛みと不具合を抱え、不自由な日々を送っている。
これからもっともっと老いが深まれば、脚だけでなく、この頭と体はどうなっていくのだろうか? 不安は尽きず恐怖さえも。
また老いの先を行く、歩かぬ姉は、2年後、まだ歩けるだろうか? 足だけでなく他にも問題を抱えて……。
今、考えたって、心配したところでどうしょうもない。だから考えないようにしよう。とまぁ、そんな感じですかね。
病気ビビリ姉は、こういった話は、したがりませんしね。
「歳をとることが、怖くなくなりました」
これを聞くと目にすると、つい、ひと言、言いたくなるのさ、この年寄りは。
フン、言ってろよ。そう言っていられるのは、アンタがまだ若いから、親もまだ元気だから。
やってみなはれ、経験してみなはれ。老いて、頭も体も不自由になった老親の介護を。
老いがどういうものだか、身に沁みてわかるじゃろう、それから言ってくれ。
「はあ~、歳をとるって、いいものですね」
母が80前後の頃だったでしょうか、
「今は、死ぬことが全然怖くない」そう言ったとですよ。
高齢で膝痛を抱えてるとはいえ、まだまだ元気な頃でした。
とはいえ当時の私からすれば、母は大いなる年寄りであって、加齢とともに死は身近なものとなり、恐怖心も薄らいでいくのか。
その歳なればこそ、そう思えるようになるのか、ほんとか? でも、怖くない、は、ある意味、いいのかな、救いとなるのかな?
うーん、どうなんだろう、うーん……………。
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しかーし、今の私にとって、80前後? まだ若いじゃん? 今の老姉と変わらないじゃん? 私だってあっという間だ。
でも、ぜんぜん違うじゃん。
老姉は「誰だって、死ぬのは怖いわよ」と、つい先日そう言っていた。
しかし、それを聞いた老妹、それより何より、
死ぬ前に、その前に、歩けなくなるのは怖くないんかい?
そう思った、勿論、口には出さぬが。
で、思いだした。母が「膝が痛い」と言っていた頃、姉は、私によく言ったものだった(膝が痛いのは)、
「歩かないからでしょ」「なんで歩かないのよ」
それを、今、姉に言いたい。
「とりあえず、歩け―」
アンドルー・ワイル博士も言っている、
「ただひとこと、歩け!」
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