今のところ、例のゴミは飛んできてないようですが、まだ油断はできません。空き地にあった袋が見当たりません、要注意です。
『 大掃除もクリスマスも正月からも、遠く離れて 』
タイトル通り、そんな感じの我が家であります。
はい、これが、この老姉妹の12月の現実ですわよ。
加齢とともに季節感もどんどん薄れてきました。
親も配偶者も子も孫もなく、訪ねてくる人もおりませんのでね。
祝い事も盛り上がらず、大掃除? このグータラ老姉妹に普段以上の動きを求めても、無理。まぁ、そんな感じでしょうか。
それに身体が、思うように動かない、痛みをともなう。
そうなりますと、正直、動くのが億劫になります。
少々、部屋が汚れていようと、かまへん、かまへん、死にやしない。
けれども、「食」に関しては、まだ、そこまで手抜きはない模様? また、そうありたい。
「生きるために食べよ」ですか?
でもね、「食べるために生きよ」それでもいいじゃないですか。
もうすぐ逝くとはいえ、まだ生きているんですから、残るは食欲ですよ。
「食べられれば大丈夫」この老姉妹、食欲はありますから。
また姉は今でも365日、1日も寝酒を欠かすことはなく、これだけは、この妹もかないやしません。
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その姉が言います。サ公住に暮らす親友のことを、「あんなに元気だったのに」。
過去形ではあるけれど、確かに病のため、身体の動きは制限されてしまった。けれど、食欲もあるし元気で、生来の明るい性格も変わらない?
見た目は身体の不自由な人、だけど元気。
そういう人は、元気な人なのか?
といことであれば、姉もそうだ?
動かない、歩けない。この数年で見た目はすっかり変わったが、身体のなかはといえば、元気でしょ。
で、なければ、あれだけ毎晩、呑めんでしょ、ひとり酒で。
そして私、今は杖など使って、一見、弱っちい、非力な年寄り風でありますが……。
ところがどっこい、中身は違いまっせ?
自分が元気だと思えば、それが元気。
まぁ、それでいいか。
しかし、数年前、仕事に行っていた頃の休日の、アルを片手に夕飯時の、
「あああ、くーーーっ、うううううんまーい、しびれるーーー」
あの旨さ、解放感、多幸感、充実感、そして見ての通りの、元気もりもりは、もう得られることはないでしょう。
ううっ、寂しい。
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