離れていたから、たまに会うだけだったから、仲良く、いい関係でいられた

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ー雨の日に想うー

雨脚が一段と激しさをましてきたちょうどその頃、生協の車がやって来た。ピンポーン、その前にドアを開けて、年寄り、しかと待機する。

すると現れた配達のオニイサン、ずぶ濡れ。仕事とはいえ、あーあ、あーあ、ご苦労様、風邪ひかないようにね、車の運転気を付けてね。

オニイサン、大変だ、心配だ、と、まるで母親のような気持になってしまう。うん? 母でなく祖母? うーん。

で、その後、注文品を冷蔵庫にしまい、届いたアイスを姉と食べていると、姉がですよ、なななんと、私に、「はい、ボーナス」と言い、白い封筒を差し出しましてね。

1度は、儀礼的拒否、でも2度目は、「ごっつあんです」と、ありがたくいただきましたわ。

……封筒の中は、勿論、ゼニ。福沢先生が、なななんと、何枚でしょうか? それは内緒です。

うーん、このゼニを、お返しをどうするか? 

本好きの姉のために図書館で本をたくさん借りてきましょう(買え!)、その帰りに姉の好きなカップ麺でも大量に仕入れてきましょうか?

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姉との会話? 同居した今はほとんどありません。会話どころか、たまには1人になりたいとさえ思う。

でも、もっと昔、私たちがまだ仕事をしていたオバサンだった頃。

たまーに、週末の仕事帰りに会い食事をしていた。食事といっても、この姉妹はアルコールがなければ始まらないのだった。

呑むほどに酔うほどに話しは尽きず、それならば、終電を気にせずに呑もう、ということでホテルをとるようになった。

ホテル泊まりなら、いつまでも好きなだけ呑める、話せる。そうしてホテルに戻ってから、また呑み直し、話をしたものじゃった。

なんて若かったのでしょう。でも、ついこの間のことにも思えます。

あんなに楽しかったのに、あんなに話すことがあったのに、それもお互いオバサンになっていたからこそ、話も分かり合えるものがあった。

もっと若い時なら、それはなかったかもしれません。

実際、お互い若い時には、それぞれの付き合い、友達関係優先でしたから、会いたいと思ったこともなく、会ったところで話も噛み合わなかったかもしれません。

しかしお互い中年になり、世の中の酸いも甘いも多少は知り、一杯入って話してみれば、

やだー、面白いじゃん、楽しいじゃん、「きょうだい」気も遣わなくて気楽でいいじゃん、おまけに奢ってもらったりして。

姉もまた、「『きょうだい』で呑むのもいいわね、楽しいわね」と、そう言う。

あの頃は、若い時とはまた違った「呑む」楽しさがあった。また、よく、それだけ話すことがあるな、というほど話もした。

しかし、毎日一緒にいたら、話もそうない、喧嘩もした、はっきり言って顔も見たくない時もある。

一緒に暮らせば、イヤなところも目にする、でも、我慢も必要、それもこれもお互い様。

というわけで、離れていたからこそ、たまに会うだけだったからこそ、お互い、いい顔をしていられた、優しい気持ちでいられた。

で、最近、姉に対して、ちょっとイラッなんて時にはですね、眠る前などに、あの頃のことを思い出すようにしてます。

すると、不思議と気持ちが落ち着き、ちょっと幸せ気分にもひたれます。

また姉の優しさなどに思いを馳せ、と同時に、私の至らなさを反省できるようになりました。

まぁ、こんな感じで、たとえ喧嘩しても、憎み合っても、年寄り同士、何とかかんとかやっていくしかありません。

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