毎日毎日夕方が近づいてくるとね、憂鬱になるの。それは料理しなくちゃいけないからよ。このことは以前も書いたわね。
「以前も書いた」? そんなことばかり書いているわね、この年寄りは。
でもさ、しょうがないじゃない、家籠り年寄りはネタがないのよ。だから「またか」と思っても大目にみてね。
で、料理ね、夕飯の支度よ。料理をしない偏食の姉は食べられるものが非常に少ない。
そして料理を作る私は以前にもまして、やる気は抜け続け、とめどもなくゼロに近づき、手を抜き、品数を抜き、どんどん食卓がお粗末になっていくようだわよ。
で、今年の正月に体調を崩した私は、体調より、それより何より、料理作りから解放される、これが嬉しかった。
ずーと寝っ転がって暮れに図書館で借りてきた本を読んでいた。具合が悪いとはいえ、本が読めるくらいだから大したことはなかったの。
食欲はなかったけれど、料理するくらいなら、食べなくていい。しみじみそう思ったものじゃった。
料理したくない、嫌だ、嫌だと考え出すと、なんだか本当に体の具合が悪くなってくるようで、登校拒否児童や出社拒否社員の気持ちが少しわかるような気がした。
料理作り拒否症から拒食症へ。このまま料理を続けたら、やがて私は本当の病気になってしまうかも。そんなことを思った年明けなのだった、マジで。
待ちに待った休日に、自分の食べたいものをガッツリ作り、食べ、缶ビーをグビグビ呑み、ううううんまーい、あの頃の私はどこに行ったのでしょうか。
今では食欲落ちて日が暮れて、食べたいものもなく、あーあ、また夕飯か、と気分は落ちるばかりなり。
ああ、なんて贅沢なことを言っているのでしょうか私は。
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お粗末精進料理メニューもすでに尽き、私のやる気も尽きた。
日替わり週替わり月替わりとはいえグルグルグルグル同じようなものばかりテーブルに並ぶ。
あーあ、作る私も飽きたが、食べる姉も飽きただろう。
でも姉は食べられるものが少ないので、変わり映えしない料理が続こうと、「まぁ、しょうがない」と、本人もそれなりに納得しているところがある。
しかし、もし姉が好き嫌いなく何でも食べる、また口出しする人だったら、それはそれで色々な料理を作らなくてはならないし、気も遣う、大変だ。
姉は自分が料理しない代わりに、料理に口出しもしない(出させない?)、文句も言わない(言わせない?)。
姉が料理する人だったら、私の作った料理にも何か言いたくなるであろう。料理を手伝わされるのもイヤだし、口出し手出しされたら、それこそ鬱陶しい。
たまには、少しは料理しろ、たまには手伝え、姉にはそう思う時もあるけれど、ものは考えようだ、これでいいのだ、そうなのだ、そう考えよう。
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