アンタ「食べる人」、ワタシ「作る人」。
あーあ、また夕方がやってきた。今日は何を作りゃいいの? あーあ、憂鬱だ、うーん。
そこで「食べる人」に訊いてみた。
─── 〇〇は、どう? 食べる?
─── 〇〇? 食べてもいいわよ。
いいわよぉぉぉおおおおおーーー? だとぉぉぉおおおおおーーー。
ったくぅぅぅううう、言うに事欠いてぇぇぇえええ。ただ、食べる、もしくは、それより、△△がいい、そう言えばいいじゃん。
怒らない怒らない。はい、深呼吸、はぁぁぁあああああーーー。
こうして今日の夕飯作りも食べる事も、諍いなしに無事終えた。はぁ~、やれやれ。
で、話は変わって「食」の次は「衣」に関してなんですけどね。
気に入ったものは服でも何でも何年、何十年と持ち続ける私ですが、「服」も、当然、歳をとります。
で、ある日、ある時、そのお気に入りを着てみますと、あれ? おかしい、こんなはずじゃ……ない、はず……。
気に入ってたのに、似合ったのに……やだー、マジ古ぼけてる。服もそうだが、一番の問題は、アンタだよ、アンタが古くなってヨレたのボケたの。と鏡が言いやがる。
あーあ、がっかり、それが真実だけに。
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歳をとって見かけが古ぼけた分、小ざっぱり、小綺麗にしてその古さを補いたいものです。高望みはしません、現実をしかと見つめ、「小」さな「キレイ」を目指しましょう。
そうは言っても、いつも小ざっぱり、小綺麗を保つ、って大変ですわよ。人間も、このように苔むしてきますと、マジで。
「小綺麗」の反対は「小汚い」? うーん、イヤですね。でも、そうなるのは簡単ですわよ、そのままでいいのですから。
加齢にコロナ、そしてこの脚の不具合で、家籠りは続きます。
家にいるんだから、着るものなんてどうでもいい、古かろうがボロだろうがヨタっていようが、ラクならそれで充分。
それがいけません。こういう時こそ、部屋着を新調です。何もお高いものなど買うこと、ありません。
年寄りは、身体にラクであっても、小ざっぱり、清潔感。いきなりのピンポーンでも、躊躇なく、すぐに出られる小綺麗さ。
「まぁ、いいか」、「この歳だもの」、「どうせ誰も見ていない」これがいけません。他人の目を意識する、これを忘れちゃいけません。
ですからゴミを捨てに行くときも、(ちょっと、この格好は……)と思う時は「ねぇ、この格好でおかしくない?」と姉に訊きます。
姉の返答は「平気よ。誰も見ていないわよ」。
すると、私はまた部屋に戻り、少しだけ着替えるのです。
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