昨日書いた「その人」も自宅介護が始まれば、お洒落がどうだ、こうだと言ってられない生活になるのだろうけど、その気持ちだけは持ち続けてほしいものだ。華奢で小柄な人だけれど意思は強そうで会話からそれがうかがえる。
「自分が、もし、介護が必要な身体になったら、その時のことはもう考えてあるの(手筈は整えてある?)。子供の(息子1人?(息子夫婦?)世話には絶対なりたくないから」
御主人を看ててその思いを強くしたのだろうけれど、子供の世話にはなりたくない、は分かるけれど、まだ介護される側になることに現実感を持てない私はそれを聞いて「へぇー、そうなの」としか応えられなかった。
準備してたってその前にボケちゃって何かも分からなくなってしまうこともあるしね、しっかりした人のようだからその辺のことはすでに子供に伝えてあるのかもしれないけれど。
こんなこと考えていると、この先、歳をとるのが怖くなってくるのだわ。
信じられないほどの物忘れ、加齢による物忘れと認知症は違うというけれど、歳を増すごとにその境界線もボケて斑になってくる。
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だいぶ前、私より10歳ほど年上の人と子供の頃の話をしていた時、「その人の子供時代の話」が……変、おかしい??? 絶対、変。
だって、その話は、以前、私が、その人に話した「私の子供時代の思い出話」だったからだ。しかも、その人から、「私の子供時代の思い出話」を聞かされたのは、その時、初めてでなく、2回目なのだ。
どうなってるの? この人、大丈夫?
とは思ったけれど口には出さず、ただ黙って私の思い出話を聞く優しい私?
しかし、どこでどう間違って「私自身の思い出」が「あなた自身の思い出」にすり替わってしまったわけ? こんなことってある? けれど、あり得ないことが起こるのが現実世界でもある。
と、こうして書いてきて……これって間違いないよね……確かに「私の子供時代の思い出」であって、「あの人の子供時代の思い出」じゃない、わよね。と、少し不安になってきたりして。
こんな30年前じゃ考えられないようなことが起こってくる。多分、自分では気が付いていないだけで、まだまだ、あると思うよ、加齢による思い込み、老いなる、大いなる勘違いが。
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