初めて『 後期高齢者 』と記載された保険証が送られてきた時は、ちょっとショック、なんかイヤな気持ちになった。
それを聞き、「そうでしょ、そうよね、わかるわ、後期だなんて、失礼よね、嫌な感じよね」と、まだ後期には余裕があるはずの、年寄りオババはそう応えながら、ちょっと笑ってしまった。
こういう話は、明るく笑い飛ばすのがいい、ヒトゴトならそれもできる。で、後期があるなら前期もある、でも、そんなのは無視だ、無視でいい。
その「後期高齢者」の付き添いで、水曜日はまた病院だ。診察を終えたら会計は本人に成り代わりオババがする。
その支払額も、有難いじゃないか、さすが後期高齢者だ。しかし、そんなこと言っていられるのも、今のところ(???)難しい病気が見つかっていない(???)からでもある。
しかし、なんと言っても「後期」が付く高齢者である、これから先のことはわからない。後期と言ってもまだ序章なのだ、これからが後期真っ只中の真っ盛り? あるいは後期真っ逆さまということもある。
歳をとったら、何はなくとも「健康」、この2文字の有難さが身どころでなく骨まで沁みてくるのだ。
それは自分のことであれ身内であれ、たとえ縁もゆかりもない人であっても、「病」と聞くと敏感に反応してしまい、時に検索をかけずにいられない、それは加齢なるゆえか、オババもそんな歳になっていた。
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冒頭、「後期」まで余裕があるはず、と書いたオババだが、50代は、「後期」など、まだまだまるで他人事、知ったこっちゃない。
たとえ、この先、もっと歳をとっても、私の辞書に、「後期がつくような、そんな婆さんは、ない!」。
そのはずが、いつの間にかここまで「後期」が近づいていたとは、自分のことなら、笑い飛ばすこともできない。
面接し聞き取り調査したわけでもないのに、国にお墨付きいただいて、あなたは高齢者は高齢者でも、もう、ただの高齢者じゃありません、「後期ね」『 後期高齢者 』、後期の意味、わかりますか?
そう断言されますと、老心に老体に追い討ちをかけられたようで、自分はまだそんな心の準備もないのに……本当の婆さんになってしまうじゃないか。
で、90超えると「超高齢者」とか言われるわけ?
もし、オババが、90過ぎても生きていたら、その呼び方だけは、辞めてもらいたい。
「こちらが『 超高齢者 』のかがみさんです」……ああ、イヤだわ。
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