老いも病も寄り添い、連れ添い、自分流で

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今や、買いものといえば食べ物ばかりとなって…

数か月前には「働く気満々」だった。けれど脚のことが分かって、一時は、ちょっとオーバーだけれど絶望し、そしてそれを受け入れられず怒りさえ覚えた。

できなくなったことばかりを考えいつもイライラし怒りっぽくなった。またこの先のことを考えると不安と恐怖で鬱々と気持ちが沈んでいった。

これでは熟睡などできるわけがない。

しかし、秋が来て冬が来て、脚の痛みも少しずつ和らいできたら気持ちも落ち着いてきて、このちょっと不自由な生活にも徐々に慣れ? 睡眠も少しずつ改善されてきた。

と思ったら、それは続かないのであった。

まぁ、そんなものよ、なんたって加齢人なんだから、眠るにもエネルギーが要るのよ。しかし、もうそんなものは枯渇しちゃったわ、そう割り切ればいいのだよ。

勤めに出るわけじゃなし、家事だって手抜きなんだし、時間はたくさんあるのだ。夜、よく眠れなかったら「朝寝」「昼寝」「夕寝」すればいいじゃないか。

「夜寝」で、目が覚めてしまったら2回、3回と分割寝すればいい。また午後出かける用事があるなら、朝寝をし、朝出かけるなら昼寝、夕寝をすればよし。

と先日読んだ本に書いてあった。なーんだ、そんなこと私はとっくに実践していますわよ、名付けてオババの開き直り睡眠よ。

物は考えよう、年寄りならでは可能な贅沢睡眠ともいえる。

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そして本には「老いとは寄り添え」「病とは連れ添え」とも書いてありました。

先日、整形外科の先生もそのようなことをおっしゃいましてね、で、医者はその手助けをするのだ、とも。

偉そうなこと言わせてもらえば、それを聞いて、私、ちょっと先生を見直しましたです。

で、私、今、杖はついてはおりますが、このちょっと不自由な生活にもだいぶ慣れ、イライラの怒りんぼも最近はナリをひそめ、気分も安定してきたように思います。

そして、老い……仕事を辞め、脚のことを知ってから、ガクンと「老い」を意識しました、一気に老け込んだように感じました。

しかし、これからはこれが当たり前? 普通? と思って寄り添い仲良くしていかなくちゃいけませんね、全然、嬉しかないけど。

年寄りのことなんか誰も見ちゃいません、気楽と言えば気楽なものです。でも誰も見ていないからこそ、自分のためにオシャレもしましょう。

そうして、あれやこれやと自分の機嫌をとってなんとかかんとか生きて行きましょう。

しかし、見ていないようで見ている、それがご近所、世間でもあります。

でも、見られるだけマシ、一番、寂しいのは、忘れられることなのよ。

そうなの? わかったわ。

ね、ねぇ、あのお婆さん、だあれ? 

かがみさんじゃない。

ええっ、うっそー、ええっ、私の知ってるかがみさんと、違う。いつの間に、どうしたの? 何があったの?

そう言われないように、ちょっとは努力もしてみましょう、自分のために。

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