ミニマリストなぞ興味もなく、全然、臨んでもいないのにいつの間にやら生活は小さく小さくなっておりました。
小さくなった……それは身長、体重にまで及び、背は縮み、肉が落ち、これが「萎びる」「枯れる」ということなのだろうか。
でっかいどー北海道、大きいことはいいことだ、♪ そんな昔もあったよね、そうですね、みんな昔のこととなりました。
というわけで、今のおばさんの小さな小さなささやかなささやかな愉しみと言えば休日の「家呑み」でありますが、昔は家呑み、あり得ませんでした。食べるは外、呑むは、もちろん外しかないでしょ、気の合う友と愛する誰かさんと、でも、みーーーんな、いなくなりました。
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で、おばさんはひとり、まだ外が明るいうちから呑み始めるわけです、休日は。で、ほろ酔い、いい気分になるとなぜか外を見るのです。この時期、外はまだ薄っすらと明るい。すると、どういうわけか無性に外に出たくなるのです。
どうにもこうにも居ても立っても居られない、そんな衝動に突き動かされ、ふらふらと外に出、近所を徘徊するのです。必要なもの、買いたいものがあるわけでなし、ただ、ふらふらと気の向くまま足の向くまま歩きたいだけなのです。
で、20分ほど徘徊すると、気が済むわけです。そういうわけで昨日も暮れる前、明るさが残っている間にほろ酔い気分のうちに近所をふらふら、どういうわけか、おばさん暑さも感じません、生ぬるい湿気を含んだ風さえ気持ちいい(酔っているからでしょうか)。
誰も見ちゃいない、脚や腕を大きく上げたり下げたり、T シャツから出た腕と手は、あれー、日に焼けておりました、夕闇に溶け込みそうなほど? それに比べ、脚はなんて白いのでしょうか、白いと言うより、なまっちろい、そのなまっちろさが夕闇に浮かびあがります
この静脈の透けるなまっちろさ、これぞ、おばさんの脚であります。とネジの緩んだ頭で再認識し、だったらせめて筋肉バッチリつけたろうじゃないか、と薄ら酔いの頭は考えるのでした。
もちろん、酔った頭が考えることです、考える、考えただけで終わることでしょう。
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