ピタリと合う、そんな人や物との出会いはどんどんなくなっていく

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人肌恋しい季節…そんな時代も過ぎた



休日中ずっと晴れ、久しぶりだ。だからこの3日間は毎日洗濯をした。そこには20年前に買ったジーンズも含まれている。デニム自体はもうクタクタで3年ほど前に裁縫の得意な人に「継ぎ当て」してもらったところもあるが、履き心地はどんどん良くなっていく。

それからさらにほころびや擦り切れ箇所は増え、もう充分に捨て時、捨て時さえとっくに過ぎた状態ではあるけれど、私は今でもこのジーンズがとてもとてもとっても気に入っていて未だ捨てられないのである。今でも家の中や散歩、コンビニ程度ならこれで行く。

履けば履くほど腰回りや脚の線にフィットし、色は褪せたが見た目のシルエットが今でも美しい。履けば脚が真っ直ぐに見える、短い脚が心なしか長くなったように見えさえするのだ? これはブルージーンズだが、同じタイプのブラックを2本その後購入。こちらも健在でほころび擦り切れなし、こちらも当然捨てられない。

若い時から今日までジーンズはずいぶん購入した、している。スタイルも値段もまちまちだけれど、しかし、これほど体にピタリ、で、脚の線がキレイに見える、のは初めてだ。これは運命の出会いと言えるのかもしれない、傍から見ればただのボロであっても。

ジーンズに限らずズボンは1年中探し続けているけれど、「ピタリ」は、なかなかなかなか見つからない。ズボンだけじゃない、それは着るもの全般に言える。加齢とともにどんどん難しくなっていき求めども探せども出会えない、私の運命の服はどこにあるのだろうか? どこに行けば出会えるのであろうか?

 

それって、ただ単に、着る人に問題ありってことじゃないの、服に選ばれないってだけじゃないの? そうね、確かにそれは言えるわね、でも、それを言っちゃお終いよ、それに物だけじゃないのよね、これは人間関係にも言えるわね。

 

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初対面でも話がどんどん進む弾む膨らむ。その反対に何度会っても何年経っても話が弾まない、ギクシャクする、そんな人もおります。で、今の私はといえばそのどちらの人とも縁がなく寂しいといえば寂しい、が、煩わしい付き合いもなく気楽といえば気楽でしょうか。

もし仕事がなければ、誰とも出会わず、しかし出会いも求めず、求めても叶わず、ほぼ毎日、誰とも話さず1日が終わる、そんな生活でありましょう。しかし、仕事に行ったところで加齢人オババの基本は変わりません。

若い時は求めなくてもいつの間にか友達ができ、そこから親友に、それが異性の場合もありましょう。運命の人、しかし、相手が人間となればその関係を維持するのも難しく、会うは別れの始めとは、それやこれやの諸般の事情もありましていつの間にやら、ぼっち暮らし。

知っている人はいるけれど、友人といえる人もピタリと合う人もおらず、みーんな、浅ーく、薄ーく、狭ーく、ほとんど知らず、出会いもなければ別れもない、それでも地球は回っている、私の暮らしも何とか回っている、まっ、いいか。