過去は捨てても捨てられないものは

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「マッチ箱」懐かしいね味があるね


過去との決別、人間関係の断捨離なんて言っちゃっているけど、過去は捨てられないのよ、想い出はプライスレスってこともあるのよ。それがしみじみわかるのもこの歳なればこそなのよ。

で、人間関係の、 だんしゃりぃいい~? ……考えてみれば……捨てた? ……捨てられたのかしら……。

捨てたと思うか、捨てられたと考えるか、それが問題だ。しかし、考えたところで……どうなる、それがどうした、今があるだけだ。

過去と他人は変えられない、だが、未来は今の自分次第だ。そんなこと言われなくてわかっとる、だが、わかっちゃいるが、変えられない、変わらない、それが人間だ、それが個性だ、文句あるか。

そうして今日まで生きてきた。明日も明後日も1年後も3年後も、そうして後悔しながらあの世へいくのか。まぁ、それも人間だ。

しかし、今はそれどころじゃない、コロナから逃げ切る、まずはそれが目標だ。というわけでとりあえず休日はどこにも行かない。食料品、日用品の一部も宅配を利用するようになったオババです。

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家で買い物ができ、それを届けてもらえる、ありがたいことですよ。でも、あらま、今回も小さな買い物に大きな段ボール箱が、であります。

ところがこのオババ、箱ものが好きなんですね、それが段ボールであってもね、空になった段ボールを見ながらいつも思うのは「うーーーん、何かに利用できないか?」 

箱もの好き、それは箱だけでなく、要するに「容れ物」「容器」になるのかな? お菓子の入っていた小さな可愛い「紙の箱」、クッキー、キャンディの入っていた綺麗で可愛い「缶類」、お洒落または素朴な「瓶類」もいいですね、忘れちゃならないのがなんたって「袋物」ですわよ。

昔のデパートの包装は馬鹿丁寧、過剰でありましたが、家に帰って中身同様、その包装紙や紙袋やリボンを大事にとっておいたものです。

しかし今は、ペーパーレス、ペーパーレス化で紙のショッピングバッグを見かけなくなった? それも寂しいと思っていたら、今度は、プラごみはいかん、許せんとか言い出してさ、また、紙の袋が復活してきたりして、はぁ~~~、何それ、で、なーーーんか、変、おかしい、この世は?????で溢れてる。 

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加齢とともに食料品以外の買い物は減りまして、オシャレ、カワイイ、ステキ、そんなショッピングバッグも手に入らなくなりましたが、それでも、「袋物」を手にすると、なんか嬉しい、で、捨てられないんだわね。

とりあえず、綺麗にたたんで、とりあえず、しまう。箱も缶も瓶も、ゼリーだのプリンだの入ってる容器もカワイイのがあるでしょ、オババ、こういうの見るとね、困っちゃう、捨てるには忍びない、で、とりあえず、キレイに洗っちゃったりしてね。

ダメだダメだダメだ、こんなことをしていては……しかし考えてみれば、「家」「住まい」そのものが「容器、容れ物」なんだわね。

大きな容器(家)の中に小さな容器(ゴミ)をせっせと詰め込んで、やがてオババはそのゴミに埋もれ、なんてことのないように、捨てなくてはね。でも、捨てる行為もエイヤーと気合いとエネルギー、気力体力が必要よね。

結婚するより離婚する方が大変だ、エネルギーが要るっていうけれど、それと同じことかしら? て、どっちも経験ないオババは要らぬお世話で勝手にそう思ったりしてね。

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