60を過ぎてから /「もう」と「まだ」の日々

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明日は「まだ」「まだまだ」気分で!

仕事を辞めたら、とりあえずブログの毎日更新、これを目標に8月9月と頑張ってまいりました。まぁ、なんとか達成できたかな、しかし、毎日、って大変だ、2ヵ月で燃え尽きた、そんな感じ。

10月1日 雨 台風の影響か、雲厚く気温は低く気が滅入るような日だった、こんな日はすっかりすんなり「もう」気分。

いよいよ睡眠の時間も質もコントロール不能となってきた。眠れなくても仕事に行かないのだから、まっ、いいか、と開き直り、どうしようもなく眠くなったらまた朝寝、または昼寝、をする。

暇だ。仕事に行っていたら今頃、この時間にはこうしてた、ああしてた、で、みんなどうしているだろうか、最近はよくそんなことを考えてしまう。

こんな日に家にいられるのは幸せなことだ。けれど、そんな気分にもなれず、ただボンヤリ、ボーッと今は亡き両親のことや、昔の友人たちのこと思い出していた。

最近、しきりに親のことを思い出すようになった。50代の頃までは親より何よりも先ずは自分、親が亡くなった後も懐かしいとか思い出しては、なんてことほとんどなかった。

それが60を過ぎてから、年を追うごとに、親を思い出してはあれこれ考えてしまう、そんな日が多くなってきた。

で、思うんですね、親は、今の私の年代60代の頃、その後、もっと後、何を考えていたのだろうか? と。

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子としては親がいくつであろうと親は親、親以外の何物でもなく興味もなく、同時に、いつだって親は年寄り、という認識でしかありませんでしたが……。

しかし、こうして自分が60代になってみると、親は、親である前に、夫、妻であり、 男 であり女 であり、ひとりの人間として、何を考えどんな思いでいたのか? そんなことを考えてしまうわけです。

母の晩年、母は言いました「今、母が生きていたら、どんなにいいだろうか」と。当時の私は、何をボケたこと言っているのか。

目を覚ませ、自分をいくつだと思っているのか、人の手を借りないと生活も不自由になってきたというのに、母親が生きていたらぁぁぁ?……絶句。

しかし、今、この歳になって、あの時の母の気持ちが、ちょっと理解できるようになりました。今更、理解したところでどうにもなりませんが。

はぁ~、であります。しかし、夕方になり自堕落オババはいつものように晩酌酌酌、「もう」気分に陥っているとはいえ、うーうんまい。

で、自分の作った手前勝手・手抜き料理にさえ舌鼓。これによって気分は「もう」から「まだ」へ急上昇、安上がりな超単細胞。で、父が生きていたらな……一緒に呑めたのに、なんてね。

明日は晴れて「まだまだ」気分で、エイエイオー!(そう願う)

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