雨が降りそう、と思っていたらすでに降っていた。年寄りの心の中にも雨は降り、それはやがて土砂降りとなった。
ちょっとだけ掃除をした、で、脚が痛み出す、パソコンの前に座る、で、脚が痛み出す、で、横になる。
横になるといってもベッドの上に大の字だ、ああ、なんてラクチンなのだろう。
雨が静かに降っている、そのせいで部屋の中が暗い、こんな日は寝て曜日なのだ、瞼を閉じればやがて夢の世界へ。
午前中に病院へ行った、なぜだか夕方5時半にもう1度来るように言われた。
家に帰り昼寝をした、目が覚めたら外は真っ暗、夕方5時であった。
ああ、寝坊した? 病院は? これからタクシーを呼んで間に合うのか? ああ、どうしようどうしよう、年寄り焦る、頭の中は混乱しパンク寸前、でパンクした。
そこで目が覚めた、夢でよかった、静かで平和な雨の午後でした。
寝不足は認知症になる確率が高まる、1時間以上の昼寝はこれまた認知症の確率が高まる。
なんだ、どっちもどっちじゃん、だったら寝た方がいいじゃん、というわけで今日も午後は昼寝に専念した。
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昼寝のお陰で午前中は、靄がかかったような年寄りの頭の中もちょっとだけクリアに? なった? そして脚も少しの間ではあるけれど、劇的にラクになった。
くりあああああ? いいのいいの、自分でそう思えればそれでいいの。
この年寄りは今日も行くところも用事もなく、そして夕方になり、夕飯のメニューを考える、とは言っても缶ビーのアテだけど。
こうして日付、曜日は変われども今日もまた昨日の繰り返し。そして明日になればまた今日の……。
うーん、これって、なんか、暮らしの「金太郎飴」みたいだ。
それが日常生活というものだ、何もないのはありがたいこと。そうだった、毎日同じと言ったって行くところも用事もないと言ったって、あるには、あるのだった。
ただ、しないだけなのだった。
行かなければいけないところだってあるのだった。
ただ、引き延ばしているだけなのだった。
こうして何もせず毎日があっという間に終わっていく。しかし、コロナ禍だから年寄りだから脚が痛いからと言ってこれでいいのだろうか?
とは思いつつも、今日もブログの更新ができた、悪い知らせが届くこともなく起こることなく今日も無事に終わっていきそうだ。
まっ、とりあえず、これでいいか。
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