人の手を借りることが増え 、年寄り気分 /「探し物」、探すうちに、何を探しているのか忘れる

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先日、これを市に寄付したオジサン(80代)スゴイ! エライ!

タイトルが長い、これはタイトルというより説明ですね。タイトルとして、なっとらん。ですが、プロの物書きではありませんから、まぁ、いいじゃないか。

しかし、そうは言ってもだらだらと締まらない。これも歳のせいかしら? で、書いてるうちに、何、書こうとしていたのか、忘れちゃってね、そんなことありませんか?

ない? あっ、そ。お言葉ですが、気が付いてないだけじゃありませんか? または、すぐ忘れ、覚えていないとか。

で、こうして中身が本題からどんどん逸れていき、で、えっと今日は? 何を書くつもりだった? えーっと。

朝から雨、涼しくて、気持ちもしっとり。こんな日は、歩かなくては、動かなくては、そんな焦燥感からも解放され、1日中、薄暗い部屋で、ボーーー。

こんな時間の無駄遣いは年寄りの特権? 考えようによっては贅沢なことだ。

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昨日は暑いなか、1人で図書館と買い物へ。うーん、ひとり、いいですね、しみじみ。しかし、脚が痛い、座っても痛い、何しても痛い。 

それでも買い物への情熱は薄れない。が、何しろこの脚が、ということでレジに着くころは、少々? ヨレヨレヨタヨタ。

するとレジの人が、カートから商品の入ったカゴを持ち上げレジ台に置いてくれた。会計が済むと、今度は、商品の入ったカゴをサッカー台まで運んでくれる。

親切なことです、何度「ありがとう」と言ったことでしょう。こうして今や私は体の不自由な老人となって、人の手を借りることが多くなりました。

ですから最近は、外へ出るとこうして、ありがとう、すみません、を言うことが、とても増えてきたわけです。

「ありがとう」「すみません」、ちょっと前までは、言うより、言われる方が多かったように思います。

人の手を借りる、貸してもらえる、それはありがたい、助かる。と、同時に、ああ、歳をとった、本格的に。脚が不自由になった今、尚更のこと、そう思わざるを得ません。

でも、そうは言っても、ああ、まだ、もう少し、と未練がましい年寄りです。

 

で、昨晩から探し物をしているのですが、ない、ない、ない、でも、ないはずがない。だって、それはこの机の上、このパソコン横の小物入れの中にいつもあり、毎日、目にしていた。

それなのに、ない。で、また机の上や、引き出しの中を探す。すると、いつの間にか……えーっと、何、探しているのだった? えーっと、えーっと……。

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