昨日の午前中は突然のピンポーン、そして夕方、久しぶりに整形外科へ。
混雑した待合室がコロナの不安を掻きたて、座り心地の悪い椅子は脚の痛みを増幅させる。
やっと呼ばれて診察室へ。
特別変わったことはありません、薬だけいただければ。でも、この先生はそれだけでは帰してくれない、親切と言えば親切なのか?
先生が話す、私は応える質問をする、が、どうにも、話が噛み合わない。
生意気な患者は心の中で、もう、いいわ、命に直接かかわることでなし、これ以上話してもしょうがない、と思い始める。
しかし、これが命に直接かかわるような病気だったら、もういいわ、じゃ済まない。
病院選び、医師との出会い、相性、信頼関係、それが運、不運の分かれ道となるかもしれない。
色々思うことはあるけれど、だからと言って名もなき庶民に選択肢があまたあるわけでなし、これも縁、それも縁、それが人生。
かどうかは知らないが、結構、私はそんなことを感じてしまうのだった。
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なんだかんだ言っても、今のところ病院を変える気はないし、手術することになっても、ここから紹介してもらったところにと、今は、そう決めている。
それには決め手があったわけだけれど、それを知ることになったのも、やはり「縁」だったのかな? と、そう思える出会いもあって、ちょっと不思議な気さえする。
結果はどうなるのかわからないけれど、今より悪くはならないでしょう、きっと。
そう思えば、あの先生とのトンチンカンな問答も、まぁ、ご愛敬、と思えるのだった。
縁は異なもの味なもの……縁ね……そっちは縁がなかったのね。
うーん、でも、まだわかりませんわよ。
袖すり合うも多生の縁、どこに、誤嚥が……ご縁が、誤嚥と変換される、イヤな感じ、年寄りだと思って失礼しちゃう。
でも年寄りは寝てる間にも、唾を誤嚥し肺炎になることも。怖ろしいわ、おちおち寝てられませんよ。
次から次へと年寄りは心配事が増えていきます。
しかし、歳をとるって、ほんと、想定外のことが身体に起こるものなんですね。
60代に入ってからというもの、身をもってしみじみつくづくそう思いますです。
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