昨日とは打って変わって晴天、道路の雪解けは思ったより早く、年寄り胸をなでおろす。
私は紙のノートに手書きで「身体日記」みたいなものをつけているのですが、昨日、2月10日(金)雪 と書こうとしたら、「雪」という漢字が書けなくて……。
「雨」あめかんむり、ここまでは躊躇なく書けた、当たり前だ。だが、その下が思い出せなくて、えーっと、えーっと、ゆき? ゆき? 焦ったー、ちょっと怖かったー。
当たり前が当たり前でなくなる、そして、こんな簡単な漢字も書けなくなる日がくるのだろうか?
自慢じゃないが漢字は日ごと夜ごと忘却の彼方。書かないのだから書けなくなるのは当たり前だけど(「躊躇」書けるわけない)。
手書きの手紙なんて、この先、書くことなんてあるのだろうか? たまにはご無沙汰している友達に手紙でも書いてみましょうか?
♪ お元気ですか みずいろは涙色 そんな便箋に ♪
考え考え手書きで、これは脳のためにもいいのではなかろうか?
便せんも封筒もたくさん持っているの、見ると欲しくなって買っていた時期があるの。綺麗な切手を集めていたこともあってね、今もちゃんと取ってあるの。万年筆だってまだ持っているわ。
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そして今、私は毎日家にいて時間もたっぷりある、書こうと思えばいつでも書けるわけね。
でもね、肝心の相手が、いないわけ。
そうなのよ、みーんな、いなくなっちゃって、どうしたことでしょう。まぁ、自分でそうしてきたのですがね。
でも、今になって思うのですけど、もう少し友達関係温存すべきだったかな。今、友達いたらな、いいのになー、そう思います。
それもこれも我儘、狭量、そんな私のせいなのよ。
でも、いたらいたで、また、イラッ、カチン、キッ、ったく、もう、頭きたー、もう、顔も見たくない、絶交。遅かれ早かれ、そんなことになっていたかもしれません。
しかし、もう少し、人間関係、大事にすべきだった。それは言える、渦中にいる時はその価値がわからない。
タラレバ言っても始まらない。いいのいいの、これでいいの、まぁ、良くもないけどね。
でも、こんな時代だからこそ、あえて手書きの手紙、それが届いたら、ちょっと感激、それも遠い懐かしい友達から。
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